みなさん、「立花登青春手控え」をご覧になったことはありますか。原作は藤沢周平で、1979年から1983年に小説現代に連載されていました。
ドラマは1982年版と2016年版があって、1982年版は中井貴一が、2016年版は溝端淳平が主役を演じています。私が今回アマプラで観たのは2016年版です。
池波正太郎原作の時代劇もそうですが、このドラマも江戸中期から後期にかけての江戸の情緒をしっとりと描くと共に、いつの時代も共通な人間関係(特に男女関係かな)の機微や哀しさ、切なさがテーマとなっています。
私は原作も全て読んでいますが、今回このドラマを観て、とても出来が良いのに驚きました。原作の世界をほぼ忠実に再現していて、主役の溝端さんの演技もとても良かったです。
とともに、原作を読んだ時も感じたのですが、今回特に再現された江戸の町を見ていて、なんとなくですが、理想の社会について考えさせられたので、ここで感想として書いておきます。
江戸時代の社会構造というのは、ご存知の通り士農工商という身分制をベースにしています。これは徳川家康が幕府を開く際に徳川家の存続を最重要視して、それを頂点とする武家社会の構造を維持するために作り出したものです。
また、もう一つのベースを成しているのは、地域共同体による自治組織の採用です。これは、江戸においては長屋を最小単位として、長屋の家主さんを長として、長屋に住む人々を相互監視させ、異常があれば家主を介して情報を吸い上げていく仕組みです。
もちろん、相互扶助の単位でもありますので、社会保障制度としてもなかなか優れた仕組みです。しかし、他人を見張り、密告を奨励する仕組みでもあり、悪くするとプライベートというものは存在せず、場合によってはいじめや村八分的な人権侵害を誘発しやすいものです。
この仕組みは江戸だけではなく、地方都市、各藩でも同様で、村を最小単位として、自動的に情報が吸い上げられ、お上に流れていくという極めて効率的かつ自動的な仕組みが全国的に実施されていました。これも江戸時代の統治形態の特徴と言えます。ある意味、江戸時代の治安が維持され、同時代の他国と比べて平和であった大きな理由であると思います。
ドラマの中で、「江戸は地方よりも情が厚い、細かい」というセリフが出てきます。これは上記の体制を踏まえると分かる通り、江戸の自治の最小単位が長屋であるため、地方の村という最小単位よりも規模が小さく、その分お互いのことがよく見え、監視しやすいからと言えるかもしれません。情が厚いというのは、言葉を変えれば必要以上に他人に関与するおせっかいでもあり、それだけ人間的な縛りが強いことを意味します。
時代劇を見ていると、時々江戸時代は平和でいいなぁ、とか江戸は情緒があっていいなぁとか感じることがあるのですが、よくよく考えてみると、非常に共産主義的、独裁主義的な体制であって、必ずしも自由があったわけではありませんし、人権侵害も多かったでしょう(そもそも人権という考え方はなかったですしね)。
日本は戦後、民主主義、自由主義に移行して社会的な近代化が完成しましたが、社会の根っこにはこの江戸時代の仕組みが残っているのかもしれません。法律や制度では分からない部分、人の心や考え方、生活習慣、そういったところに根強くこびりついている可能性があります。そんなことを、この人情豊かなドラマを観ながら考えてしまいました。
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