朝の習慣の変化から気付いたこと

コラム

早朝はまだ寒いです。でも、明らかに春はすぐそこまで来ていて、晴れた空や空気にはそれが感じられます。気温が低いだけ。

せっかく気持ちよい季節になったのですから、空気の悪いジムで長時間歩くのはもったいないです。夜明けの時間もだいぶ早くなってきて、朝陽と共に歩くことができるのも素敵ですよね。

そういうわけで、朝のウォーキングの場所はジムから近所の公園に移りました。新鮮な朝の空気を吸いながら歩くのは、気持ちが良いですが、1つだけ困ったことがあります。

それは、Kindleで本を読めなくなった、ということです。ジムで歩いているときは、目の前のスタンドにiPad miniを置いて、読み上げ機能にページめくりを任せて読んでいました。1時間ですが、かなり読書は進みます。

しかし、外を歩く場合、そういうわけにはいきません。最初はApple Musicで最近のJ-POPを聴いたりしていましたが、ふと、本を読んでないな……と気付いたのです。

不思議なことに、朝のKindle読書がなくなると、それ以外の場でも本を読まなくなっていました。朝読書をすると、勢いでその日は時間の空いたときに本を読めるようになるのでしょうか。

これではいけないと、歩きながら、iPhone16eの読み上げ機能だけで読書をしてみました。悪くありません。しかし、この読み上げ機能、結構読み間違いをするのですよね。読み間違いというより、漢字の読み方が分からないというか。

とくに歴史小説とか時代小説を読んでいると、人の名前や地名、昔の言葉は結構間違えます。たとえば、勝海舟を「まさるかいしゅう」と読んでしまいます。それが意外に不快なのです。読み間違いから脳が勝手に正しい単語を推測しようとしてしまうので、なかなか物語の筋に集中できない気がします。

これは、ぜひ、Apple Intelligenceで読み上げ機能の強化を図ってほしいですね。まぁ、オーディブルを使え、という話もあるのですが、読みたい本が必ずしもオーディブルになっていないことも多いので、できればiOSの機能で対応してほしいものです。

また、耳だけで読書をしていると、文章を分かりやすく、難しい言葉を使うことなく記述しないといけないのだな、ということを思い知りました。これは、自分の文章に対する反省の機会になりました。

簡潔に、分かりやすく、でも文章的なリズムは維持しつつ、できれば文学的、言語的なニュアンスや面白さも伝わるような、そんな文章を書けるようになりたい。耳に心地の良い文章は、おそらく理想的な文章なのではないでしょうか。

耳に心地の良い文章は、おそらく、ひらがなにしても意味が通り、日本語としてリズムが俳句や短歌のように整っているようなものをいうのだと思います。そういう意味では、俳句や短歌を読むのも修行に繋がるかもしれません。

まだこの運用は始めたばかり。もう少し続けてみて、あまりにもストレスがたまるようでしたら方法を変えないといけないかもしれません。あるいは、わたしの脳と耳が慣れてしまうかもしれません。また、状況は報告しますね。

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