人生とは宝物を作っていく過程である(宝物を探す過程ではない)

コラム

以前書いたとおり、noteのネタは思いついたときにWordpressのアプリにタイトルとして書き留めるようにしています。この投稿のタイトルもそのうちのひとつのはずなのですが、どうしてもソースが思い出せません。

誰かから聞いたセリフなのか、何かの本の一文なのか、あるいは単に自分の思いつきなのか。たぶん本だと思うんですが、見つけられないのです。

本を読んでいて気づきがあった場合は、該当箇所にしおりかマークを入れて、あとからわかるようにしてあります。しかし、そのなかにもない。映画か、ドラマなのかな……。

いずれにせよ、非常に感銘を受けました。自分を振り返ってみても、人生はなにか自分にとっての宝物を探すようなイメージがありました。目標があって、それに向かって邁進していく。きっと到達点には素晴らしい景色が広がっているはず。そんなふうに思っていました。

しかし、よくよく考えてみると、人生は到達点ではなく、プロセスそのものなんですよね。点ではなく、線。それがほかのひととの関連性で面になっていく。

その線や面の結節地点に、道標のようにできてくるものが宝物なのではないのか。最近はそんな気がしています。つまり、宝物って自分の人生の中にすでにある過去のものであって、未来に向かって探し続けるものではないのです。

そうやって自分の人生を振り返ってみると、自分にとってのよい思い出とか、よいできごと、ひととの出会い、すべてまさに宝物だなと思うのです。そういう記憶やものごと、ひととの関係が宝物なのですから、大事にしなければなりません。

将来自分の人生の延長上にあるかどうかもわからない空想の宝物を追い求めるあまりに、自分の手元や足元にある宝物を見過ごしていませんか、雑に扱っていませんか、そんな自省の気持ちになります。

もちろん、目標を持つことは大事ですし、それに向かって努力することも大事です。その結果も人生の上にあるひとつの結節点として宝物になるかもしれない。でも、それもしょせん通過点であって、ゴールではないのですよね。

人生は、最後の瞬間、そのときがくるまで、営々とつづく道程です。人生の最終地点は誰でも同じです。その最終地点に到達するまでの間に、どれだけの結節点を打ち、それが宝物となり、人生を豊かにできるか。それが最も大切なことなのではないのでしょうか。

人生とは宝物を作っていく過程である」

このことばのソースは、ここまで書いても思い出せません。しかし、久しぶりにわたしに刺さったことばです。もし、原典がわかる方がいらっしゃいましたら、コメントで教えていただけるとうれしいです。

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