高校生の君へ – 好きなひとには好きですと告白しよう

コラム

また夢を見てしまいました。押しつぶされそうな切なさで目が覚めて、頬は涙にぬれていました。

もう、なんども、なんども見る夢です。なんども、なんども繰り返される景色。なんども、なんども、おいかける姿。

わたしが彼女に出会ったのは、高校一年生のときでした。新しいクラスに入って席に着き、自己紹介が始まりました。先生が誰だったか、自分がどこに座っていたか、全く覚えていません。ただ、彼女とわたしの位置関係だけははっきり覚えています。彼女はわたしの左まえの席でした。その背後の窓に白いカーテンが揺れていました。

高校の制服のデザインはよく覚えていません。白のブラウスと紺色のジャンパースカートだったと思います。彼女はすっきりとした姿勢で立って自己紹介をしました。何を話したかは覚えていません。ただ、くせがつよい髪に青か緑のアクセサリを着けていたような気がします。

こういうのを一目惚れというのでしょう。合理的な理由なんてありません。わたしはその瞬間から、彼女から目が離せなくなりました。その日、その瞬間から、彼女の存在を、気配を目で追い、身体で感じるようになります。

当時わたしは町の空手道場に通いながら学校では柔道部に入るという、バリバリの武闘派でしたから、万が一にでもわたしが彼女に一目惚れしているなんて、人に知られたら自分の矜恃が許しません。どちらかというと無愛想なほうでしたけれど、よけいに無愛想に振る舞うようなところがありました。

そんなわたしですから、告白などあり得ません。煩悩を追いはらう、といった修行僧のような心の持ち方に憧れを持つ、まがりなりにも武道家として進みたいと、当時は思っていたわたしです。世の中がひっくり返っても自分から彼女に話しかけるなどということはあり得なかったのです。

でも、心のどこかで彼女をつねに追いかけて、目の片隅に彼女をとらえる、そういう日々を送っていました。不思議なもので、彼女とは3年間同じクラスでした。しかも、彼女とわたしはクラスのルーム委員長と副委員長をまいとし交代しながら続けるという、なんとも微妙な立ち位置でした。3年間、わたしはそんな生活を送っていたことになります。

彼女と話す機会は、ルーム委員としての公的な場しかありません。そのときのわたしの心のなかを想像してみてください。嵐の中の小舟です。手を伸ばせば、すぐそこに彼女がいるわけですから。しかし、わたしは、一度も、彼女に触れるどころか、一言も私的な会話をしたことがありません。

わたしが彼女と私的な会話をするチャンスは、1回だけありました。これは、いまでもはっきり覚えています。2年生の文化祭で、クラスで演劇をすることになり、わたしがシナリオを書いて、彼女が主役を演ずることになったときです。不思議なことに、まったくどういうシナリオだったのか、劇だったのか覚えていません。

何回目かの打合せのあと、学校からの帰りが遅くなることがありました。暗くなりましたので、わたしが彼女を家まで送ることになったのです。自転車でした。車の多い通りをたどるので、途上で言葉を交わすことは難しいです。でも、彼女の家の前で自転車を降りて、そのとき、ふたりで向かい合う機会がありました。

いま考えたら、これが最初で最後のチャンスだったのかなと思います。彼女のことが好きだ、と言える、ほぼ間違いなく人生最後のチャンスになったわけです。

そのときのわたしは、ただ、おつかれさま。ありがとう。それだけを言ったように記憶しています。

馬鹿な話です。わたしはその日以来、卒業をして、大学に入って、就職して、還暦になろうかといういまになっても、彼女のことを追い続け、その気配を探し続けているのです。彼女は夢の中にあらわれ、街のあちこちに気配を残し(もちろんそんな気配は気のせいなのですが)、わたしのこころをつねに切なく、あまく、しめ付けます。

こんな駄文をいまどきの高校生が読むことはないと思いますが、あえて書きましょう。もし君に、好きなひとがいたら、そのひとのことが好きであると伝えましょう。もちろん、そのあとのことの責任は負えません。でも、振られてもいいじゃないですか。すくなくとも、わたしのように、いっしょう、その面影を追い続けるようなことにならないですみます。

そういえば、彼女は外資系の証券マンと結婚したと、どこかで、そののちに、聞きました。

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