村上春樹『職業としての小説家』を読んで

コラム

小説を書いていたのは、何年前ですかね。

仕事が暇で暇で、時間を持て余してオフィスの片隅で書き始めたのが最初でした。どんな小説かというと、「むっちゃ堅い文体のダークファンタジー小説」です。

もともと津本陽の『武神の階』という小説と、フロムソフトウェアの『デモンズソウル』というゲームに感化されて書こうと思った小説でした。原稿用紙換算で600枚越えの大作です。

江戸川乱歩賞に投稿して最終のひとつ前まで残りましたが、「これはミステリーではない」というコメントをいただいて落選しました。そりゃそうです。ファンタジー小説だもん。今考えてみると、なんでミステリーでないものを江戸川乱歩賞に出したのか、自分でも謎です。どこに出していいか分からなかったのですね。

それ以来、10作ぐらい長編を書きました。どれもこれも最終のひとつ前まではいくのだけど落選する、を繰り返しました。まぁ、才能がないのだと思います。

そうこうするうちに仕事が忙しくなり、とても小説を書いている時間がなくなってしまって、もう5年くらい経ちます。小説の書き方も忘れてしまいました。

そんなわたしなのに、村上春樹の『職業としての小説家』を読みました。

この本で村上春樹が徹頭徹尾書いているのは、俺は好きで俺の物語を書いているのだから、いろいろ言わんで結構です、ということ。彼は読者のウケを狙って小説を書いたことも今後書くこともない、自分の分身ともいえる主人公たちがみずから物語を紡んでくれるのです。

わたしたち凡人からみたら、それが天才たる所以だと思うわけですが、彼は自分は天才ではないと言います。ただ、まいにちコツコツと書き続けているだけ。自分の周りで日常起こることをマテリアルとして、小説の中にどんどん放り込んで組み立てていくだけだと。

なので、年齢は関係ない。自分の分身を何歳にでも変えて、その分身がなりたいと思うものになる。たとえば15歳のころの自分の感覚を現在に架空に移し替えて、しかしあたかも15歳の自分が現在の空気を吸って、目にした光をまざまざと再現させる。そういうプロセスを繰り返しているのです。

したがって、小説家になるために必要なものは、基礎体力。まいにちコツコツとそのプロセスを繰り返すわけですから、逞しくしぶといフィジカルな力を獲得する必要があると説きます。彼は実際30年以上、毎朝ランニングをしているとのことです。

有酸素運動をすると海馬のニューロンが飛躍的に増加する。そうして増加したニューロンに小説を書くことで知的刺激を与え、活性化し、思考を臨機応変に変え、普通ではない想像力を発揮できる、と。

この本を読んで、かなり元気づけられました。村上春樹のいうことを信ずれば、たとえ何歳になろうが、どこにいようが、伸びしろが無限に残されているのです。60歳になろうとしているわたしには天啓に聞こえます。

フィジカルに手を動かして文章を書き、それを何度も読み直し、細かく書き改めることによって頭の中を整理し、把握する。そういうプロセスこそわたしが大好きなことですし、健康でさえいられれば、歳をとっても続けていけることなのだと思います。

また、小説を書いてみようかな。そんな気にさせる本でした。

タイトルとURLをコピーしました