猫という不思議な生きもの

コラム

この7月まで、うちには猫が3匹いました。メスの三毛キジとオスの茶トラ白、オスの黒猫です。

とても残念なのですが、今年の7月にメスは亡くなってしまいました。10歳。もうちょっと長生きしてほしかったなと、時々とても悲しくなります。

猫という生きものは本当に不思議です。いつの間にかそばに来て、いつの間にか寄り添って寝ていたり、探しても探しても見つからなかったり、いつもただ寝ているだけのように見えて、身体中生傷が絶えなかったり。

なんのために、なぜ猫は人間と共に暮らす道を選んだのでしょうか。

猫と人間の共存の歴史は非常に古く、約9000年前に遡ると考えられています。最も古い記録の一つは、キプロス島から発見された人間と猫の共同墓で、約7500年前のものと推定されています。

古代エジプトでは、約4000年前から猫が神聖な動物とされ、多くの神話や伝説、壁画にその存在が確認されているのは有名なお話しです。猫は豊穣と保護の象徴とされ、また死後の世界を旅する魂を守る存在ともされていましたので、猫を傷つけたり殺したりすることは厳しく禁じられ、罰せられました。

一方で、中世ヨーロッパでは猫がしばしば迷信や魔女狩りと関連付けられ、その扱いは一変しました。しかしながら、森が開拓され畑が広がるに連れてその捕食能力が農作物を守る上で価値があると見なされ、彼らは害獣駆除の手段として農家に保護されるようになりました。

そして産業革命を経て猫は次第にペットとしての地位を確立し、現代では野良猫でさえも保護猫の対象となって、ペットとしてだけでなく、人間にとって不可欠なパートナーとなっています。

これは私の想像ですが、猫は人に飼い慣らされたのではなく、自ら人間と共に生きることを決断したのだと思います。自分たちの種が生き残っていく一つの手段として、人間を信頼できるパートナーと信じて彼らの意志で人間のそばにいることを決めたのではないでしょうか。

彼らと一緒に暮らしていると、彼らの意図を感じるときがあります。私が疲れて帰宅してソファに座ったとき、どこからともなく茶トラ白が姿を現して、私に寄り添ってお腹を見せます。そして腹を撫でよと促すのです。

もちろん、本人が撫でて欲しいのだと思いますが、私はそこに私を癒そうとする彼の意志を感じるのです。実際私は彼の腹を撫でているうちに会社でのストレスが溶けるように無くなっていくのを感じます。

亡くなったキジ三毛もそうでした。私が風呂から上がると必ずそばに近寄ってきて、身体が濡れるのも構わずスリスリしてきました。猫の習性として匂い付けのためということもあるのでしょうが、私はやはり彼女の私を労おうとする意図を感じていました。

考え過ぎかも知れませんが、人間の側がそのように感じられるだけでも彼らの存在価値はあります。また、彼らも安全と食物が保障されます。まさにWin-Winの関係が築けているのではないでしょうか。

少なくとも、猫は私にとってパートナーであり家族でもあると思っています。末長く一緒に暮らしていけると良いなぁと、亡くなったキジ三毛の写真を見ながらいつも思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました