私は一時期YouTubeの動画を作っていた時があります。もっと遡ると、ニコニコ動画で動画主をしていたことがあります。
ニコニコ動画にはゲームプレイ動画を上げていて、ほとんどがデモンズソウル(フロムソフトウェア作。最近ではエルデンリングの開発会社として有名になりました)でした。20年近く前になります。
YouTubeに動画を上げていたのは比較的最近です。去年もモンハンやダークソウル、エルデンリングなどを妻とマルチプレイしている動画をアップしていました。
ゲーム動画を上げていたのは手軽だったからです。ガジェット系動画もやってみようと思ったことはありますが、散財し続けないと生き残っていけない厳しい世界。私には無理でした。
顔出しも抵抗ありますしね。ゲームプレイ動画を上げていた時、声が良いですねと言われたことがあるので、ポッドキャストはまだやってみたいなと思うことがあります。
でも、やはり私のやりたいことはゲームや動画を作ることではなく、文章を書くことです。ブログで書いても良いのですが、今はnoteという便利な物書きのためのプラットフォームがあります。システムもコミュニティもしっかりしているので使わない手はありません。
noteができるまで、物書きのプラットフォームといえば、「小説家になろう」や「カクヨム」、「pixiv」など、小説を書く人がターゲットでした。ちょっとした短めの文章を公開する場所は、それこそブログしかありませんでしたし、Twitterは文字数の縛りがあって、とても文章のためのプラットフォームとは言い難いです(個人的にはそのせいで日本人の文章力はかなり落ちたのではないかと思っています)。
ましてや、収益化の可能性がある仕組みでサステナブルな環境は無かったのではないでしょうか。物書きは小説で収益を上げようとすると新人賞に応募して賞を獲るしか無かったわけで、その意味でなろう系のプラットフォームの貢献は大きなものがあります。PVが稼げて人気さえ出れば、賞を獲らずとも小説家になる道が開けたのですから。
短い文章については一部のブロガーが収益化に成功してはいましたが、その本質は文章そのものではなく、ネズミ講的な妙なビジネスモデルに移行してしまい、今や見る影もありません。私は、noteは文章そのものを価値として収益化できる可能性のある素晴らしい仕組みだと評価しています。
YouTubeもそうでしたし、noteの中にもかつてのブロガーが収益化を図ったものと同じような仕組みを実装している例もあるようですが、私はこのnoteというプラットフォームで、文章そのものの価値を訴求し、遺していけるような活動をしたいです。
自分の文章力がそういうことを言うレベルには達していないことは重々承知していますが、事切れる瞬間まで書き続けて修行していきたいと思います。もちろん収益化できるかどうかは、持続可能であるために大事なことですが、幸いにも私には本業があります。ですので、文章を書くことについては、収益化を目的とするのではなく、ライフワークとして続けていきます。収益化はあくまでも結果であると考えています。
タイトルの「noteは物書きのYouTubeである」というのは、日本においてはまずニコニコ動画が才能以外の諸条件を取っ払って動画制作者たちを開放し、そしてその後をYouTubeというグローバルのプラットフォームが担って、動画クリエイターたちの自由化を果たしたのと同じ役割を、物書きの世界でnoteは達成しうるのではないか、という意味です。
もちろん、自由には責任が伴います。コンテンツとしての質、それを流布するにあたっての目的とその結果に責任を負うこと。豊穣な文化の一部を担うものとしてコンテンツを創り、遺していくという義務と責任は決して軽くはないことを、物書きの端くれとしてではありますが、意識して活動していきたいものです。