昨日、母からメッセージが来た。会社法や登記上の手続きが終わり、10月31日、30年続けてきた会社が閉じられるとのことだった。
「お疲れさまでした。大事業でしたね。お母さんしかできなかった偉業だと思います。尊敬します」と返した。
母はもともと専業主婦だった。私が小学校3年生になるころには百貨店のパートをしていた記憶がある。婦人服売り場の売り子だった。
東京の文化服飾学院を出ていて、テキスタイルに詳しかった母には素養があったのだろう。持ち前の根性もあって、常にトップセールスだったようだ。
その母が独立してブティックを開業したのが50歳のときだ。そのタイミングで法人も設立して会社を興した。その年齢で独立を決断したのもすごいが、もっとすごいのはビジネスの進め方だ。
母は単身東京に行ってデザイナーたちと直接ビジネスをした。例えば、芦田淳、森英恵、伊藤すま子、君島一郎、西田武雄、島田順子など、錚々たるメンツだ。今考えても、地方の1ブティックが直接取引できる先ではない。
そのひとつを取ってみても、彼女の行動力と直感は、経営者としても非凡なものだったと言える。
残念ながら、私はそのセンスを受け継がなかった。まずもって会社の社長をやるなんて勇気も度胸もない。多額の借金を背負い、従業員の人生を背負うことも考えただけでみぞおちがしびれる。
さらに人間関係が面倒くさいと言うよう私に、仕入れ先との関係を構築できるわけもない。
母も少しは私が跡を継ぐことを期待していた節もないわけではない。しかし私は自分の適性と現在の業界、郷里におけるマーケットの状況を踏まえて、断った。私はどちらかというと、教職にあった父に似たのかもしれない。
会社のたたみ方も綺麗だった。
持ちビルを売るときにはひと騒動あったし(私も手伝ったが)、仕事をやめて家に入ることに抵抗を感じていたことも知っている。しかし、最後は自ら会計士の先生に相談して、ひとりで幕引きをした。
あと一週間、さまざまな想いや記憶とともにこの30年を振り返ることになるだろう。
また、ある意味50年ぶりに主婦に帰るのだ。商売をやっていたときとは違う大変さもある。
しかし、あの母のことだ。またそれも乗り越えていくだろう。
突然電話がかかってきて、またビジネス始めたよ、と伝えられる可能性もまだありそうな気もする。しかし、いまはとにかく、お疲れ様でした、ゆっくりしてくださいと言っておく。
息子としては、健康には気を付けて、次の人生を父とともに歩んでいってほしいと祈るだけだ。


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