ありがたい人の縁と、至福の時

コラム

昨日は3年ぶりに昔からお世話になっている方のお宅にお邪魔をした。彼との付き合いは商社マン時代からなので、もう30年近くになる。

当時、私は財務部門に属していた。彼は社長室に所属しており、会社の戦略を策定する仕事をしていた。

彼は私より5つほど年上である。仕事での接点はほとんどなかったので、本来であれば知り合う機会は無いはずだった。その彼と私がどうして30年近くも付き合うようになったのか。

きっかけはMacだった。彼はアメリカでMBAを取った後、現地で交通事故に遭い大怪我を負って日本に帰ってきていた。

アメリカの大学ではMacintoshを使っていて、その時の経験を活かして、部門内にApple TalkベースのLANを構築した。当時としては先進的な試みと言えるだろう。

そのころ私はAppleに憧れていたものの、その高額さに手が出ず、フラストレーションが溜まっていた。

その鬱憤を晴らすようにWindowsやLinux、トロンなどのOSや、Netwareベースのネットワーク、オラクルのデータベースなどを独学でマスターしていた。

たまたま女性の同期が社長室に配属されており、全社のNetwareのネットワークに部内のApple Talkを繋げる仕事を手伝っていて、その上司が彼だった。

当時の情報システム部にはNetwareとApple Talkを繋ぐノウハウがなかった。彼女は私が勉強しているのを知り、私を彼に紹介してくれたのだった。

Appleネタで意気投合した私たちは、職場だけでなく、彼の自宅でも会うようになった。お邪魔するたびに奥様が手作りの料理を用意してくれたが、飲み食いせずに延々とMac談義を続けている私たちを呆れた顔で見ていたことを思い出す。

彼の書斎は一階の角部屋で、正面と左手が全面窓になっており、陽がさんさんと射し込む明るい部屋だった。正面にMacが繋がれたモニタがあり、Apple純正のキーボードとケンジントンのトラックボールマウスがあった。

デスクの脇にはHPのプリンターが鎮座していた。当時はプリンターも高価で、印刷専門の業者がいたくらいだ。

新製品が発表されるたびに、私は彼の家を訪れた。新製品に実際に触れるチャンスだからだ。当時はApple Storeなんてなかったから、実機に触れるためには持っている人にお願いするしかない。

この最新のMacを備えた書斎は私の憧れとなり、今でもこの書斎を超えるものを作りたいという想いは消えていない。

それから30年。彼と私の関係は変わらない。

奥様は相変わらず美味しい手作り料理を供してくれるが、私たちはそれを前にMac談義を続けるのだ。奥様の呆れ顔も変わらない。

みんな、ちょっと歳をとったかな、とそれぞれがおそらく思いながら、でも気持ちは30年前と何ら変わらない自分を再認識しているのだ。そしてそれが、私の至福の時であることも、30年間変わらないのである。

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