久しぶりの横浜で思い出した「あのこと」

コラム

今週は出張で東京に来ることになったので、前入りして横浜に来ている。横浜は十何年ぶりだろうか。もしかしたら何十年ぶりと言ってもよいほど来ていないかもしれない。

私は30数年前に横浜に住んでいた。関内、伊勢佐木モールに面するマンションに10年ほど居た。

そのため、横浜には想い出がたくさんある。当時は20代から30代だったから、人には言えないエピソードも多い。

昨日は、みなとみらいから中華街までを歩いた。歩きながら思い出したエピソードをひとつご紹介しよう。

当時の私は無茶苦茶酒を飲んでいた。職場の近くで終電まで飲むのは当たり前で、終電にも間に合わないことがよくあった。

その冬の夜も仲間と居酒屋を梯子し、泥酔し、おそらく私は仲間たちに無理やりタクシーに押し込まれて横浜に帰ってきた。

仲間たちも私の住所を覚えていなかったのだろう、行き先を桜木町駅としか伝えていなかった。私は桜木町駅の前で降ろされた。酔っていた私は運転手を家まで誘導することができなかったのだ。

天気は悪くなかったと記憶しているが、とにかく寒かったことと、カバンを身体から離さないようにしようとしていたことだけを覚えている。

次に気付いたときは、まだ駅前にいた。深夜だった。駅の灯は消えて闇の中だった。私は身体を揺り動かされて目が覚めたのだ。

「兄ちゃん、こんなところで寝てたら死ぬよ」

誰かが私に言った。私は何とか立ちあがろうとしたが、まだアルコールが残っていてまともに歩けない。足がもつれて倒れそうになった私を、がっしりとした体格の人影が支えた。

「家、どこ」

影から訊かれたが、答えた記憶がない。

次の私の記憶は、白い光の中に居たことだ。

布団に寝かされていた。和室で、左側全面が障子になっており、白い光は障子を通して射してきた朝陽だった。

一瞬、自分が何処にいるか分からなかった。

次の記憶は、着物を着た老人と話をしているシーンだ。

老人は掛け軸を背にして座布団に座っており、私はそれに相対するように座布団の上に正座していた。

「駅前で死なれると困るんです」

私の記憶が正しければ、彼はそう言った。

当時の桜木町はまだみなとみらいは出来ておらず、倉庫や貨物置き場だった。みなとみらいが着工され、埋め立ては進んでいたが、駅よりも西の土地は権利関係が複雑で、死人が出ると価値が下がる。

価値が下がると困る人がたくさんいる。

私は彼からそう聞かされた。

「だからもう、お酒は飲み過ぎないようにしなさい」

彼は言った。

私は礼を言い、広い玄関の引き戸から外に出た。手元にカバンがあってホッとしたことと、いま中身を調べたら失礼に当たるなと考えたことを覚えている。

そこからの記憶は曖昧だ。どうやって家まで帰ったのか覚えていない。ただ、玄関から門までが広い庭になっていて、数人の男たちに門まで送られたことを覚えている。

記憶が正しければ、場所は野毛だったはずだ。

このことは誰にも言っていない。しかし、もう30年も経っていればここで書いても問題ないだろう。

あの老人は誰だったのか。私を駅前で凍死から救ってくれたガタイのいい男は何者だったのだろうか。

私は、実は彼らは地元のヤクザだったのではないかと思っている。

一般人なら警察に報せるだろう。それを彼らはしなかった。かと言って、放置すると駅前で死人が出る。死人が出ると「自分の土地」の価値が下がる。選択肢は自分で助けることしかない。

しかし、結構薄氷を踏んでいた可能性はある。ヤクザの性格によっては、私はそのまま横浜港に沈んでいたかも知れないし、みなとみらいの人柱になっていたのかも知れないのだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました