15分のマジック

コラム

今朝は寝坊してしまった。正確に言うと、いつも通り5時に起きたのだが、身体がだるくて起き上がる気がしなかった。

5時15分、布団の中でうだうだしていた私に猫が朝ご飯を催促する。それを機に気合いを入れて起き上がった。

いつもの散歩は15分遅れに始まった。たった15分だ。しかし、この15分の遅れで私はいろいろなことを考えさせられた。

まず、15分違うと空の色が違う。いつもなら真っ暗で星も見えている。しかし今日は、まさに薄墨を刷くように、空が明るくなっていく。

刻々と変化していく空と、解像度を増していく空気が妙に新鮮だった。いつもは見えないものが見えてくる。いつもは感じない音や匂いが感じられる。

15分違うと、起き出してくる人も増えてくる。普段なら寝静まっているだろう家から水道を使う音や雨戸を開ける音が聞こえる。

いつもは挨拶をする機会の無い、新聞受けに新聞を取りに来た女性に朝の挨拶をした。ガレージで車にエンジンをかけたまま煙草を吸っている男性とも挨拶をした。

神社の近くでは、昨日ちょっと気になることがあった。私の足元でまるまると太った猫が横たわっていたのだ。死んでたら嫌だな……と思いながらそばを通り過ぎた。

今朝は、その猫がその横たわっていた場所に座っているのが見えた。私と目が合うと、そいつは側溝を飛び越え、擁壁を駆け上っていった。俺は生きてるよ、とでも言わんばかりに。私はホッとした。

それも15分遅れていなければ、彼(彼女?)に出会うことも無かったかも知れない。会えなければ、ずっと気になっていただろう。

こういった変化が見られるのは、朝の15分だからかも知れない。朝の15分は他の時間帯と比べると密度が濃い。朝起きてから、会社に行くまで、学校に行くまでにやるべきことは意外に多いし、短時間にそれをこなす必要がある。だから変化が大きい。

しかし、よくよく考えてみると、昼間の15分でも夜の15分でも同じ15分だ。密度の差はあれ、変化はあるはずだ。

15分あればトイレは終わる。人によっては風呂も終わるかも知れない。

私の場合、15分あれば2つや3つ仕事のタスクを終わらせることができるし、小説のネタを思い付いてメモするには十分な時間だ。

15分は、予測不可能な偶然をもたらす。今朝15分遅れなければ、あの猫に会うこともなかったし、このエッセイを書くこともなかった。その代わり、いつも通り散歩していれば新しい小説のネタを思い付いていたかも知れない。どちらが「正解」だったのかは誰にも分からない。

こういう時間のマジック、タイミングの不可思議さというのは、意外に人生において重要なのでは無かろうか。15分で幸運に恵まれることもあれば、皮肉な結果を迎える人も居るだろう。

それがどちらに振れるのか分からないのであれば、良い方に振れていると信じて生きていった方が楽だし、精神衛生上も良い。

15分を意識しつつも、この15分は良い方に振れているのだと、信じながら生きていこうと思う。

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