散歩をしているとときどき不思議なことに出会う。
必ず音が鳴るマンホールもそのうちの一つだ。
福岡での散歩道はかなり起伏に富んでいる。バス通りから脇に逸れると、閑静な住宅街が山の上まで続いている。
かなり急な坂が10分ほど続き、山のてっぺんにも家が並んでいる。天気が良いと、ここから遠くに玄界灘が見える。
問題のマンホールはそこから坂を下る途中にある。
道は少し広めの県道。その両脇に歩道があって、カーブを描いて公園まで続く道はなだらかだ。下まで降りるのにだいたい20分かかる。
坂のちょうど真ん中当たり。
最初にこのマンホールを踏んだとき、ガコン、と大きな音がした。
左手は住宅街、右手は広い谷になっていて、その向こうの山の側面にも住宅やマンションが建ち並んでいる。ちょうど大きなコンサートホールのようになっていて、小さな音でも大きく反響するようになっている。
最初はその音の大きさに肝を冷やした。
私がその辺りを通るのは、だいたい朝6時前。まだ眠っている人もいる時間帯だ。そんな時間帯に朝の空気を破るようにマンホールの蓋が鳴る。しかも、反響するのですぐに止んでくれない。
私は思わず辺りを見回した。
歩いている人は居ない。左手の住宅も深閑としている。ホッと胸をなで下ろして右手のマンションを見る。
人が居た。
10階建てくらいのマンションだろうか。その中層階のベランダから人が顔を出すのが見えた。男か女かは分からない。ただ、ひょいと顔が出て、その目と私の目があった気がした。
その日以来、私はこのマンホールに差し掛かったとき、そこを跨ぐか避けるようにした。
しかし、このマンホールの蓋は鳴るのだ。いや、今踏んでないだろう、と何度ツッコんだか分からない。
確かに歩道は広くない。ほぼそのマンホールが歩道の幅を占めている。とは言え、こちらが意図して避けているにもかかわらず、鳴る。
私はそのたびに、あの顔がまたベランダから出てくるのではないかとビクビクする。谷の向こうのマンションを見ることも何となく気が引ける。
あぁ、今日も鳴ったなと思いながら私はその坂を下る。下りながら思った。
もしかしたら、私がそのマンホールを踏んで音を立てることにも意味があるのではないか。何かしらの宇宙の法則に組み込まれているのではないか。
あの音で目を覚ます人もいるだろう。なにかのきっかけや合図にしている人もいるかもしれない。
そう考えると、むしろマンホールを鳴らさないと困る人もいるのではないかという気がしてきた。
遅刻する人、朝の体操のリズムが狂う人、窓の外を見るきっかけを失った猫。
マンホールは、当たり前のように、今日も鳴った。
しかし、いつか鳴らない日も来るのだろうか。その時は、彼らにとって、猫にとって、とても特別な日になるかも知れない。
もしかしたらその日は、他ならぬ私にとって、特別な日なのかも知れない。
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