怖いと言われて気づいた、働き方のバランス

コラム

先日上司との1 on 1で、私が怖い、という声が上がっていると営業のマネジャーから聞いたとの話があった。
怖いと言われたのは初めてでは無い。かつてマネジメントをやっていた時も、部下から顔が怖いと言われたことがある。

その部下曰く、どうやら私が怒っている時は、眼鏡を外すのだそうだ。その仕草にビビると、彼は言っていた。
その時は笑い話のように話していたが、私としては気になって眼鏡を外すことをやめたし、できるだけ機嫌良く見せようと努力した。

当時の部下は20代から30代前半だった。
若いチームで、ブラック企業の修羅場の中で戦い抜いた戦友たちだった。
あの状況で機嫌良く仕事をするのは至難の技だったが、私なりに頑張った。

今回、相手は40代のおっさんである。私よりも年下とは言え、それなりに人生経験もキャリアも積んでいる人たちだ。
その人たちから言われるとなると、ただ事では無い。

実は以前から、私も気を付けるようにしていた。眼鏡を丸いソフトな雰囲気のものに変え、出来るだけ和やかに振る舞うようにした。
しかし、である。
私の努力は無に帰した。やはり怖いのだそうだ。

何とか結果を出させてやろうと真剣にやったのがいけなかったようだ。私は集中したり、真剣に物事に取り組むと、いわゆる怖い顔になる。
気を付けるのにも限界がある。また、あまりそれに拘ると、私が何もできなくなる。
私は方法を変えた。

基本的に言われたことのみ、必要最小限のことに集中する。その代わり成果物の質は上げる。
対応を先取りしたり、先読みを見せない。結果がわかっていても、わからないふりをして歩調を合わせる。
私の役割がない打ち合わせには出ない。

ここ数週間この対応を試してみた。人からどう見えるのかは分からないが、私として思わぬメリットがあった。
まず、身体が楽になった。18時以降に仕事をしなくても良いようになり、土日仕事をする必要も無くなった。睡眠を取れるようになったし、規則的な生活を送れるようになった。

それに合わせて精神的にも楽になった。心の余裕ができたので、ゆっくり歩くようになった。時間をかけて丁寧に物事に対応できるようになった。
個人的には小説執筆の時間がしっかりと取れるようになり、集中力が増したことが嬉しい。

私の人生設計では、再来年の頭には退職して、IT業界からは引退するつもりだ。あと一年ちょっとのために身体を壊したり、心を病む必要もないだろう。むしろ、その後に向けて、しっかり準備していきたい。
そういうわけで、今の私は気分もスッキリ、夢と希望に満ちた状態にあるのである。

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