毎朝同じ道筋を散歩していると、季節の移り変わりがよく分かります。昨日と同じ時刻に歩いているにもかかわらず、いつもよりも太陽が昇るのが遅く感じたり、吹いてくる風や空の高さに秋を感じてしまったり。
今年は夏が来るのが早かった分、夏が終わるのも早いのかも知れません。今週に入って、明らかに朝が来るのが遅くなりました。先週までは明るかった空が、まだ刷毛で墨を塗ったように薄い灰色です。天気が悪いせいもあるかも知れません。
しかし、神社の林の中から聞こえてくる虫の音も、先週までとは様相が変わってきています。ミンミンゼミはほとんど聞かなくなりました。アブラゼミやクマゼミはまだ聞こえていますが、少しずつツクツクボウシやヒグラシの鳴き声が多くなってきたように感じます。
あと、明らかに違うのは、地の虫の声です。コオロギやカンタンの声が少しずつ草むらから聞こえてくるようになりました。まだスズムシの声は聞こえていないので、夏が終わったわけではないと思いますが、少しずつ季節が移り変わっていくことを実感します。
空の様子も変わりました。今週になって雨が続いているので、青空が見えることは少ないのですが、晴れているときに見える雲の様子が変わってきました。先週までは真っ青な空に入道雲が湧き上がっている景色が普通でした。いまは空の色は薄い青で空がとても高く感じます。雲も鰯雲のような横に流れていくような雲が多くなりました。
あぁ、今年の夏も終わってしまうのか。あんなに楽しみにしていた夏。あっという間です。考えてみたら、人生100年として、普通の人間は100回も夏を迎えられないわけです。わたしは今年60歳ですから、あと何回夏を迎えられるでしょうか。もしかしたら、残された夏は、両手で数えられるほどかもしれません。
そう考えると、夏という季節がとても貴重なもののように思えてきます。もちろん、夏以外の季節もあるわけで、春、秋、冬も同じなのですが、夏というのは特別な想いがあります。小学校の時の夏休みは、永遠に続くのではないかと思うくらい長かったです。そして、その記憶がわたしの中に刻み込まれています。
わたしにとって、夏は子供のころ祖母と過ごした夏であり、初恋の人に失恋した夏なのです。大人になるにつれて夏は当たり前のものになり、忙しさの中で過ぎていく季節を惜しむ暇もありませんでした。しかし、この歳になると、改めて、夏という季節の貴重さが身に染みます。当たり前のことですが、今年の夏は二度と戻ってきません。そして毎年毎年二度と戻ってこないであろう夏を、あと何度迎えられるのか。
あらためて、毎日毎日を丁寧に生きることを心がけていかないといけないなと感じています。人との会話、仕事の資料作り、打合せ、そして執筆。決して疎かにはできません。今書いているこのエッセイも、残りの人生に刻み込むように、一文字一文字魂を込めて、大事にしていかなければならないと考えています。
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