昨日は本当は18時まで仕事の予定でした。しかし、何故か思い立って17時からの打合せを、バスの中でiPhoneで聞きながらすることにしました。聞くだけの打合せだったからです。思えば、虫の知らせだったのかもしれません。
バスに乗っている間に相方からメッセージが来て、五輝が綺麗なウンコをしたこと、もうそろそろかもしれないということ、きっと私を待っているということを知りました。家に帰ると、五輝はソファベッドに横たわって相方の看護を受けていました。息は荒く、もう私のことが分かるのか分からないのかも分かりません。私はカバンを放り投げ、そのままの格好で五輝に縋り付きました。五輝は温かかったです。
それから2時間ほど、ずっと五輝に声をかけ、身体をさすり続けました。五輝はお腹を撫でられることが好きだったので、負担にならない程度に撫でました。どのくらい時間が経ったか――相方と私が見守る中、彼の呼吸が止まったのが分かりました。お腹が動かなくなっていました。その直前、三度ほど口を開けて何か言葉を発したようにも見えました。いつの間にか部屋は暗くなっていて、隣のリビングの黄色い明かりが私たちを照らしていました。
初めて五輝と会ったのは、横浜に住んでいたときです。相方が家につれてきて、五輝と目が合った瞬間、彼は私の手に爪痕を残してソファの下に逃げ込みました。保護猫活動をしておられた方は女性ばかりだったので、身体の大きい私の姿を見て怖がったのかもしれません。いまでもその痛みを思い出すことができます。
五輝という名前を付けたのは、相方が飼っていた猫に順番に数字にちなんだ名前を付けていたからです。太一、英二、琴美、喜与、五輝、歩、七海――といった具合です。名前のごとく、五輝は本当に神々しいまでの優しさと温かさを持った猫でした。茶トラ白でしたが、白の割合が多く、特にお腹側は真っ白で、本当に綺麗でした。私の横でお腹を撫でられるとき、お腹を上にしますが、美しく柔らかく温かいそのお腹にどれだけ癒やされたか分かりません。
あとで分かったことですが、どうやら五輝にはスコティッシュフォールドの血が混じっていたようです。五輝は、いつも後から来た猫の面倒を見ていました。もともと保護猫さんたちの中にいたときもそうだったようですが、初めて歩が来たとき、すっとそばに行ってお尻を舐めてあげていました。七海が来たときもずっと舐めてあげていて、歩も七海も、初めての場所がきっと怖くなかったことでしょう。先住猫の喜与とは喧嘩もしていましたが、東京に引っ越したとき、新居でびびってしまっていた喜与のそばにいて、ずっと離れなかったのは五輝です。
五輝は、出会ったころからちょっと普通ではないところがありました。頭の後ろの模様がちょうど天使の羽根のようで、私はこの猫は人間の生まれ変わりか、あるいは死んだら人間に生まれ変わるのではないかと、何度も思ったくらいです。相方がトイレや風呂に行くと、ドアの前でじっと待っていました。知らない人が来ても、私にとって大事な人であればそばに行ってお腹を撫でさせます。猫たちだけでなく、私たちの様子を常に見ていて、心が波立ったとき、必ずそばに来て「撫でよ」とお腹を出して癒やしてくれました。
いまの私はとても幸せなのですが、この幸せを創ってくれたのは五輝であると言っても過言ではありません。相方とのきっかけを創ってくれたのが喜与、そしてその相方との生活を築いてくれたのが五輝なのです。五輝は、どちらかというと相方寄りの猫でした。私より相方のそばにいることが多かったです。それでも、ときどき書斎を巡回してくれました。外に出るのが大好きで、ウッドデッキに出ては、その隙間から外を眺めていました。私はそれを「宇宙の平和を守る警備隊だね」と言っていました。
足を引きずり始めたとき、最初は捻挫か骨折かと思いました。猫タワーなどの高いところから飛び降りることも多かったからです。しかし、脚を触ってみるとコブみたいなものがあって、病院に連れて行ったのです。そこで骨肉腫と診断されました。私はこのときの自分の判断が正しかったのかどうか、いまでも分かりません。このとき処方された薬で食欲が落ち、元気がなくなったように見えたからです。
体調の不良はそのときからで、もしかしたらこのとき、病院に連れて行かなければもっと長生きできたのではないかと思ってしまいます。喜与のときもそうでした。病院に連れて行ってから急激に調子が悪化したのです。私は同じ過ちを犯してしまったのではないか。いまでも自分を責める気分になります。
最後の瞬間、私は五輝の名前を繰り返しながら、「ありがとう、ありがとう」と言うしかできませんでした。本当に感謝の気持ちしかなかったのです。
五輝は、5番目の猫です。残念ながら4番目まではみんな天国に行ってしまいました。太一が20歳を越える長寿であったことを考えると、五輝は11歳。あまりに早い別れでした。喜与も10歳を越えて別れを迎えたので、正直、もう少し長生きしてほしかったです。でも、太一、英二、琴美、喜与がきっと虹の架け橋の手前で待っていると思います。五輝もしばらくここに一緒にいると思いますが、どこかのタイミングでそこに行きます。なので、寂しくないと思います。
わたしだって、いつそっちに行くか分かりません。どうか、そのときまで待っていてください。またみんなと一緒に暮らそうね。それを想うとき、わたしも死が怖くありません。死は、即、彼らと一緒にいられることを意味するからです。必ずそこに行くから、待ってて。
私の歳も歳ですから、七海の後の猫は責任が負えません。おそらく、七海は最後の猫になるでしょう。英二、琴美には私は会ったことはありませんが(太一には一度会いました)、その幸福の数列は、間違いなく五輝に受け継がれ、歩、七海に受け継がれていくでしょう。そして、その記憶は失われることはありません。失われるときは私が死を迎えたときですが、そのときにはそばに彼らがいてくれるから。
五輝、本当にありがとう。喜与も五輝も、ずっとずっと私の心の中で生き続けています。昨日、私は五輝と約束しました。もう泣かない、と。五輝が創ってくれた幸せの礎を大事にして、しっかりと前を向いて生きていくことを誓いました。
最後にもう一度。
ありがとう、五輝。
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