漫画『呪術廻戦』をリアルタイムで追っていた理由

コラム

2024年9月末、愛読していた『呪術廻戦』がエンディングを迎えました。連載期間は6年とのことで、最近の週刊少年ジャンプの連載としては長い方でしょうか?

実は、私が少年ジャンプを毎週購読するようになったのは、初めてです。子供のころも週刊誌というものを購読したことがありません。漫画は週刊誌よりも単行本派だったのです。

当初、『呪術廻戦』も単行本から入りました。いや、正確に言うとアニメから入りました。

「劇場版 呪術廻戦 0」を最初に観て感動し、テレビアニメに入ってから単行本という順番でした。「呪術廻戦 0」の何が刺さったかと言いますと、終盤の夏油傑との戦闘中の乙骨憂太のセリフです。

夏油が特級仮想怨霊「化身玉藻前」と4,461体の呪霊による呪霊操術・極ノ番「うずまき」を発動したことに対して、乙骨が特級過呪怨霊「祈本里香」の制限解除をした際のやり取りです。

夏油 「そうくるか! 女誑しめ!」
乙骨 「失礼だな。純愛だよ」

これはただの漫画ではないと思いました。

当時まで発刊されていた単行本を全て読み終わり(確か23巻まででしたか)、続きが気になって、気になって。ゼブラックで少年ジャンプを『呪術廻戦』を読むためだけに購読しました。

私はどちらかというと漫画は読まないタイプだと思うのですが(最近の漫画で読んだのは『進撃の巨人』と『ザ・ファブル』、『キングダム』くらいでしょうか)、その私が何故リアルタイムで『呪術廻戦』を追うことになったのでしょうか。

登場人物が魅力的であることは大きいです。乙骨憂太、虎杖悠仁、五条悟、宿儺、東堂葵などの個性豊かな面々が放つ術式や領域展開のドラマティックさ、スケールの大きさ、荒唐無稽さ(実は一番好きなシーンはテレビアニメ版の東堂の領域展開? だったりします)。

でも、やはり最も私が感銘を受けたのは、これだけ陰惨なダークファンタジーであるにもかかわらず、物語の根底に人間の尊厳とそれに対する信頼のようなものがあったからではないかと思っています。

生得術式は生まれつきのもので、本人にも変えることはできません。その術式が故に身を持ち崩すものも己を失ってしまうものも多いなかで(宿儺などはその典型と言えます)、純粋なまでに自分の核を持ち続けてそれを信じて疑わない者がいます。

乙骨憂太の祈本里香への純愛、虎杖悠仁の祖父の言葉に対する信頼。これがこの物語を単なる漫画として終わらせていない理由なのではないかと思います。その意味で、最終回近くで虎杖が宿儺にかける言葉はとても重いです。

知らず知らずに
呪いを背負って
生まれて
どんな
化け物になるかは
運次第だった
俺には
爺ちゃんがいた

芥見下々『呪術廻戦』

私たちは様々なものを先祖から受け継いで生まれてきました。これは宗教的な意味ではなく、DNAという生命科学的な意味においてです。遺伝子学的には、我々はある程度そのケイパビリティを決められた存在です。

しかし、成長する過程で多くの人と出会い、影響を受け、学び、時には挫折して、人生経験を積む中で、そのケイパビリティを越えることも、変えることも可能です。そういった人間への楽観的な期待、希望、信頼がこの漫画の根底にあるのではないでしょうか。

私がこの漫画をリアルタイムで追わざるを得なかった理由は、まさにそこにあります。

南ではなく、北に向かおう。新しい自分になるために。

虎杖も、そう、最後には宿儺でさえそれができました。どんなに重い宿命を背負っていても、どんな過ちを犯してしまったとしても、北に向かうか南に向かうかは自分の意志に任されています。そして、私たちは、北を選ぶことができるのです。

芥見先生、本当に6年間お疲れさまでした。そして、この素晴らしい物語を最後まで描き上げてくれて、ありがとうございました!

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