城下でお茶会と萩焼体験会 - さらば萩、また来ます!

コラム

昨日は朝まで雨でした。夜中のあいだ、雷も鳴っていたので心配していましたが、朝になるとスッキリと晴れて、それまでの荒れ模様が嘘のようでした。

天気も良くなったので、指月山に行こうという話になりました。この週末は萩市内でお茶会が催されているのですが、指月山もその1つになっています。

指月山は標高143メートルほどの小高い山で、正面から見ると、萩城を後から守っているように見えます。実際、萩城の一部(詰の丸)として戦略的に利用されました。城郭の遺構が現在も残っており、国指定の史跡「萩城跡」の一部です。

指月山

萩城下散策の時に地元の方から聞きましたが、この山はほとんど人の手が入っていないとのことです。山頂にある石は、一部が城の石垣に使われていて、明治以降途中で放棄されてそのままになっているとのこと。市街に近い、市民にとっては身近な山なのに、樹齢の高い樹々も多く、山の中に入ると鬱蒼とした景色になるそうです。

そう聞くと、やはり登りたくなります。一応、登山道はあって、700メートルほどで山頂に行けるとのことだったので、登ることにしました。妻はその意外な峻険さに怖気づいてしまい、麓のベンチで待つことに。

いや、舐めていたわけではないですが、想像以上に急な坂道(というよりもけもの道)が続いていて、これは高齢の観光客が登ると、危ないのではないかと思ったほどです。2、3組の方々とすれ違いましたが、みなさん無言で辛そうに歩いていました。

しかしそのぶん、頂上に達した時の喜びは、他の山と変わりません。山頂には城の遺構と、切り出したまま放置された大石、空を覆って緑色に身体が染まってしまうのではないかと思うほどの大樹が茂っており、足元には注意が必要です。

大木と巨石

展望台のようなものはありませんが、3か所にベンチが置いてありました。それぞれ、日本海と市街の西と東を望むことのできる、絶景ポイントです。真っ青な空と海、それを縁取るように砂浜の海岸線が続いており、疲れが吹き飛びました。

日本海をのぞむ

しばらく、その場に呆然と立ち尽くして、時間を忘れました。周りには誰もいません。萩市街は1キロメートルほどしか離れていないのに、ずいぶん山奥に入り込んでしまったような気分になります。それこそ、山の神様が出てきそうな、峻厳な雰囲気です。

この感覚は、以前高野山に登った時に感じたものと同じかもしれません。山には明治以降に廃寺になったお寺跡がいくつか残っているそうですが、山独特の霊性を感じることのできる山といえます。

下山して、いい感じで喉が渇いたところでお茶会に参加しました。とはいっても、何かお作法が求められるわけではなく、チケットを購入して、指月山公園内にある茶室で抹茶と和菓子をいただくのです。上品な和菓子の甘さと、思ったより苦くない抹茶の爽やかさが、登山の疲れをすべて拭い取ってくれました。

お茶会のあと、妻が萩焼きを体験したいというので、教室を開いている近くの窯元に行きました。わたしは陶器に詳しくないのですが、萩は陶器でも有名で、よく茶道具として使われるようです。

その歴史はもしかすると他の地域よりは新しいかもしれません。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に毛利輝元が朝鮮から連れ帰った李勺光(りしゃくこう)・李敬(りけい)という陶工兄弟が、萩に窯を築いたのが始まりとされていますから、文禄・慶長の役のころ、すなわち1592~1598年ころからということになります。

妻はもともと商品パッケージのデザイナーをやっていたので、芸術的感覚はわたしより優れています。以前も有田焼を見に行った時に体験会に参加したのですが、そのときにセンスと才能の違いを思い知らされました。わたしの作るものなんて、幼稚園の粘土遊びにすぎません。

今回は「手ごね」と呼ばれるやり方をやっていました。器用にするするとお椀が出来上がります。焼き上がったお椀にご飯を山盛りにすればマンガみたいだね、とくだらない冗談を言ったら怒られました。

手ごね

今回のゴールデンウィークは、初めて長期滞在した萩を堪能しました。まだまだほんの一部にしか触れられていないと思います。今後、末長く、第2の拠点として、大事に暮らしていきたいと思います。こうやって萩を堪能するだけでなく、何か地元のお役に立てることがあればいいな、と今回改めて思いました。

今日、ざっと掃除をして、福岡に戻ります。次に来るのはわたしだけ、5月中旬から終わりころでしょうか。また来るよ、萩。今後ともよろしくお願いします。

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