わたしは大分県大分市出身です。でも、高校卒業後東京に出て、30年以上東京で暮らしたので、大分のことはほとんど知りません。記憶も知識も、高校生のときで時間が止まったままです。
ですので、わたしの大分の記憶はおそらく、かなり美化されていて、あまり悪い記憶はないといっても良いと思います。もしかしたら、そのうちの1つかもしれませんが、わたしの第二の故郷ともいえる佐賀関についてもそうかもしれません。
佐賀関は、大分市の東、海沿いに突き出た部分、豊後水道に面している場所です。天気の良い日には、目の前に四国の最西端が見えたりします。天然の漁港がある場所でもあり、関アジや関サバなどで有名です。
わたしの母の実家はこの地域にあって、子供のころ毎年夏休みと冬休みは祖父母の家を訪れ、休みの間じゅう合宿みたいにして過ごしました。子供のころは祖父母のことを「おふねのおじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでいたとおり、家の前に海が広がっており、家の裏は山が迫っていて、みかんの収穫も手伝ったものです。
親戚の子供たちや近所の子供たちが集まって、浜辺で西瓜割りをしたり、素潜りで魚やタコ、さざえを獲ったり、それこそ、朝から夕方まで真っ黒に日焼けするまで遊んでいました。海から家に帰ると、祖母が作ってくれたアジのお寿司やまんじゅう、やせうま(小麦粉を練って平たく伸ばし、ゆでてきな粉をまぶした大分県の郷土料理です。お盆や七夕のお供え物として親しまれています)が待っていて、みんなでお腹一杯になるまで食べました。
夜は近所の雑貨屋で大量買いした花火をもって浜辺に出て、花火大会です。毎日が楽しくて、夏休みなどは無限に続くのではないかと、当時思ったものです。
そんな祖父母も亡くなり、子供のころ過ごした家も数年前に人手に渡り、もう二度とあの家に戻ることはなくなってしまいました。想い出だけが、あのときのまま、それこそ時が止まったように心の中に残っています。
家は人手に渡りましたが、裏山に移設されたお墓はまだ残っています。母方のきょうだいの家庭の事情もあって、そのお墓にもなかなか参ることができなくなっていました。
しかし、今日、たまたま仕事で、佐賀関のさらに南にある臼杵に出張することになったのです。臼杵は「臼杵の石仏」や、「臼杵せんべい」といった観光地やお土産で有名かもしれません。石仏はいわゆる磨崖仏で、山の切り立った崖に仏像が彫られているものです。写真で見た方も多いと思います。
日帰りの出張で、大分駅から営業さんの運転する車に乗ってお客様先まで行きました。向かう途中で、ふと懐かしい空気に触れたような気がしました。車が向かうT字路を右に行くとお客様先へ着きます。左へ行くと……。
祖父母の家がある場所です。この場所は見覚えがありました。子供のころ住んでいた大分市内から父が運転する車で佐賀関に向かうとき、必ず通る場所でした。佐賀関に向かうには、山から向かう道と海から回り込む道とがあります。子供のわたしは、海が好きで、父に海周りの道から行って欲しいと懇願したものです。
その通りに偶然、ばったり行き当たったのです。全く意識していませんでした。その場所に行くまで、佐賀関のことはすっかり忘れていたし、仕事のことしか頭にありませんでした。でも、人間の記憶とはすごいものです。それこそ映像がフラッシュバックするように、頭の中に大量の記憶が流れ込んできました。
涙を浮かべてしまったわたしに気付いた営業の方が、びっくりして、どうしたんですか、と聞きました。わたしは正直に、この地域が祖父母の家があった場所に近くて、もう何年も行けてないのですよ、という話をしました。彼は、すぐに、じゃあ、行きましょう。行きは時間がないので、帰りに寄りましょうよ、と言ってくれました。
言葉に甘えて良いのかどうか、帰りの電車を気にすると微妙な時間帯になってしまうので、悩みました。しかし、もしかしたらこれも、祖父母が呼んでいるのかもしれない、そう思ったのです。
仕事が無事終わって、そのまま直接大分駅に向かえば、ちょうど帰りの電車に間に合います。しかし、その営業の方は、なかば強引にわたしから祖父母の家を聞きだして、有無をいわさずその場所に向かいました。
10分ほど車でかかったでしょうか。当時よりは格段に道の状態は良くなっていますし、海も護岸やテトラポットでだいぶ雰囲気は変わっていましたが、子供のころの記憶にある海が、わたしのまえに広がりました。
空は抜けるように青くて、太陽はあの夏の日々のように照りつけ、潮風は間違いなく、あのころわたしの鼻腔を満たしていたものと同じです。そして、そこに、祖父母の家がありました。
そのままでした。嬉しいことに綺麗に掃除されていて、劣化は感じられません。母屋も納屋を兼ねた車庫も、祖母の手伝いをした台所から居間に続くちょっと長い廊下も、あのときのままでした。
そして、わたしは営業さんに御礼を言って車を降り、裏山に向かいました。お墓が2基、これも昔のまま立っていました。誰が供えたのか、みずみずしい花が供えられており、お墓の前を華やかにしていました。
わたしは無言で、その場に立ち尽くして、手を合わせました。
5分ほどして車に戻り、大分駅に向かいました。残念ながら、帰りの電車には間に合わず、次の電車の自由席で福岡まで帰ることになりましたが、なんの後悔もありませんでした。ずっと気になっていた、でも普段は忘れていたお墓参りが、こんな形で実現したことの喜びと、不思議さを噛みしめていました。
やっぱり、きっと、おふねのおじいちゃんとばあちゃんが、せっかく近くに来たんだから、寄って行きなさいよ、そう言ってくれたのではないかな、そう思っています。
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