80歳の挑戦者へ — Apple Watchを贈った母の日

コラム

昨日は2025年の「母の日」でした。わたしの母も、もう80歳を越えています。散歩のときに撮った公園の花がきれいだったので、その写真をメッセージと共に送りました。

わたしの母は、もともと専業主婦でしたが、40歳くらいからデパートのパートで働き始めました。世代的には珍しいと思いますが、東京でテキスタイル系の大学を出ていたこともあって、婦人服売り場が担当でした。

彼女が独立したのは50歳のとき。そのとき母は、オートクチュールという高級婦人服売り場を、社員として担当するようになっていました。しかし、お得意先の薦めもあって、自分の店舗を開いたのです。母は単身東京に行き、飛び込みで何人かのデザイナーたちに会って直接契約を結びました。

最初の10年は賃貸の店舗で営業をしていましたが、60歳のときに、なんと自社ビルを購入します。わたしを含めて全員が反対しました。婦人服のビジネスと不動産ビジネスは全く異なるものです。ノウハウも経験もないのにビルを持つことはリスク以外のなにものでもありませんでした。

しかし、母はそれから20年、ブティックの運営もビルの管理も立派にやり遂げました。ブティックの方は昨年店を閉じました。そろそろビルの方も終わり方を考えなければなりません。しかし、母にとってはこのビルは思い入れの大きい存在のようで、なかなか決断をすることができません。引き続きビル管理の方は続けています。

80歳を越えて、毎日ビルの事務所に通って仕事をしているのです。ブティックの方も完全に閉じたわけではなく、特注のオーダーメイドの婦人服だけ営業は続けていて、在庫は持たない注文販売を行っています。東京のデザイナーさんとは、デザイナーさんが引退するまで(彼も母と同世代のようです)、このビジネスは続けていこうということになっています。

わたしは今年60歳になりますが、ビルを買う勇気があるかというと、全くありません。それどころか、新しいことに飛び込むこと自体が怖いです。当時の彼女と同じ年齢になってみて、あらためて母の凄さが分かりました。常人ではありません。

わたしは、社長なんてものは、大変失礼な言い方ですが、気が狂っているか、頭のネジが何本か緩んでいないとできないものだと思っています。会社だけでなく従業員の人生も背負うなんてことは、ふつうの神経なら保ちません。その意味では母も普通のひとではないのだと思います。

残念ながら、わたしは母の才を受け継ぐことはなく、普通にサラリーマンをやっています。わたしにできることは、毎年母の日に何かプレゼントをすることと、いつか近い将来、彼女がビルを畳むという決断をしたとき、その手伝いをすることくらいでしょう。

今年の母の日には、Apple Watchをプレゼントしました。完全引退まで、いや、引退した後も、元気に何かしら活動をしてほしいし、きっと彼女ならやるに違いないと思ったからです。息子のわたしがそばにいることはできませんが、せめてApple Watchが母と共にあり、その行く末を寄り添ってもらえたら良いなと考えています。

最後に母に送った写真を掲載しておきます。いつの間にか春が過ぎ、新緑の季節を迎えました。これから梅雨があり、夏がやって来ます。母にとってあと季節が何回巡るのかは分からないですし、わたし自身どうなるかも分かりません。いずれにしても、これから巡ってくる季節は貴重な日々になるでしょう。大事に過ごしていきたいと思います。

ヒナゲシ
ガザニア

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