魂が試される夜 ― エルデンリングナイトレインの挑戦

コラム

昨日、久しぶりに腹を括って『エルデンリング ナイトレイン』を進めました。

このゲームは、フロムソフトウェアの重厚なARPG世界に、フォートナイトのようなタイムアタックとガチャ要素を加えた新しい挑戦作です。時間制限の中、ランダムで割り当てられる武器を手にし、やはりランダムに選ばれるマップとボスに挑んでいく。まさに、計画も通じず、運も絡む、苛酷で混沌とした世界です。

最初はそのランダム性に苛立ち、協力プレイでの他人の行動に不満を持ち、自分の未熟なプレイにも絶望しました。もう何度「やめよう」と思ったか知れません。このゲームは、プレイすればするほど自分の人間性が露わになっていきます。自分の弱さ、怒りっぽさ、無力感、すべてを突きつけてきます。それがしんどかったのです。

でも、だからこそ逃げてはいけないと思いました。ここから逃げたら、本当に自分自身と向き合えなくなるような気がしました。そこで昨日、思い切って野良マルチプレイに挑戦したのです。

選んだキャラクターは「復讐者」。数あるキャラクターの中でも最弱と言われています。そんなキャラを選んでいる自分にも問題はあるかもしれませんが、とにかく、このキャラの長所を伸ばす構成に集中しました。装備する遺物はFPを最大化するもの、霜踏みを初期武器に付与するものを選びます。道中で拾う聖印は、雷の矢、黒炎、光輪といった信仰Sのこのキャラクターにマッチしたもの。アーツの使い所にも全神経を注ぎます。近接戦は避け、死なないよう慎重に立ち回ります。

最近はこの「復讐者」にあえて重厚な武器を持たせるようなマニアもいるらしいですが、私にはまだその余裕はありません。ただ、自分の動きを冷静に計算し、先を読み、味方と足並みを揃える。それだけに集中しました。

そうすると、不思議なことに失敗しても腹が立ちません。十分に考え抜いた上での結果なので、後悔が少ないのです。運良く、チームにも恵まれ、ラスボス手前のボスまでクリアすることができました。

この体験を通じて気づいたことがあります。

「自分の長所をできるだけ伸ばし、短所をできるだけ晒さず、状況と周囲を正確に把握する」

──これはゲームに限らず、現実でも極めて大切なことではないでしょうか。

フロムソフトウェアのゲームは、ただ難しいだけではありません。その難しさの奥に、自分の心の奥底と向き合う機会を用意しています。自分の限界、傲慢さ、脆さといった「人間性」をあらわにする装置としてのゲーム。それがデモンズソウル以来の「ソウルが試される」体験であり、ダークソウルにおける「人間性を捧げよ」というキャッチフレーズに込められた意味なのだと思います。

きっと、宮崎英高という創造者の人生観、人間観が、あの世界には深く反映されているのでしょう。

そして、プレイヤーが自らの「魂」と向き合い続けることで、その先に、ほんの小さな光明が見えてくるのです。そこに救いがある。だからこそ、私たちはまた彼のゲームを、その難易度に根を上げそうになりながらも続けてしまうのでしょう。

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