遠雷とともに夏が来る

コラム

昨日、東京から福岡に戻る際、てっきり雨だろうと覚悟していたのですが、思いがけず晴れていて驚きました。今朝も散歩に出かけ、快晴の空の下、日の出前の涼しさがとても心地よく、気持ちよく歩くことができました。

天気予報によると、今週末からは晴天と猛暑が続くようで、もしかすると梅雨明けとなるかもしれないとのことです。ジメジメとした梅雨はあまり好きではありませんが、それでも季節の変わり目として大切な時期であることに変わりはありません。しとしとと降る雨には、どこか心を落ち着かせる力があります。

YouTubeなどでも、雨が降る映像や音だけを流すリラックス動画が多く見られます。雨音には心を静めたり、集中力を高めたりする効果があるようです。わたしも、雨音を聞きながら作業をすることがあります。

個人的に好きなのは、梅雨の終わりに鳴る雷です。この雷が鳴ると、翌日にはすっきりと晴れ上がり、本格的な夏の到来を告げてくれるのです。「梅雨雷(つゆがみなり)」と呼ばれ、俳句では夏の季語にもなっています。遠くで鳴る雷のことは「遠雷(えんらい)」といい、その響きを聞くと、「ああ、夏がやって来るのだな」と感じるのです。

このような季節の区切りや移り変わりは、まさに日本の四季の象徴です。春、夏、秋、冬とめぐる季節の変化が、日本の風土や文化、美意識を育んできました。

しかし、近年はこの四季が少しずつ崩れつつあるように感じます。たとえば秋。以前なら、暑さが過ぎてから紅葉を楽しみ、冬へと向かう静かな移行がありましたが、最近は夏が終わるとすぐに寒さがやってきて、秋が短く、あるいは存在感を失ってしまったように思います。四季のなかで秋が一番好きなわたしにとっては、これはとても残念なことです。

また、春も少し苦手な季節になってきました。もともと生暖かくて、どこか艶めかしい春はあまり好きではなかったのですが、年齢のせいか、冬から春へと季節が移るあいだに体調を崩すことが多くなりました。花見の時期も、年々短くなっているような気がします。

さらに、雨の降り方も変わってきたように感じます。昔は夕立が来ると涼しくなり、まるで打ち水のような役割を果たしていたものですが、最近では「ゲリラ豪雨」という言葉が定着し、まるで熱帯のスコールのような雨が降るようになりました。この言葉にはどうにも情緒がなく、個人的にはあまり好きではありません。

時代が変われば、人も文化も変わります。しかし、季節だけは変わらないでいてほしかったと思うのです。いつまでも、あのときと同じ夏が来てほしい。遠雷を聞いて、「また夏がやってくる」と思えるような、そんな季節の記憶が続いてほしいと願っています。

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