迷い道こそ、わたしの街、人生なのかも

コラム

先日、新しい散歩ルートを開拓したという話を書きました。

今朝もその延長で、少し気になっていた道に足を向けました。新たに見つけたルートの中に、霊園へと通じる遊歩道があったのです。今日はそこを歩いてみようと思い立ち、その入り口に立ちました。

しかし、これがなかなかの冒険でした。

遊歩道といっても、山の中を通る道で、地図もなければ方向を示す標識もありません。ぐるぐると迷いながら歩いた末、結局霊園の反対側に出てしまい、大きく迂回して元の道へ戻るはめに。家にたどり着いたときには、散歩は80分を超えていました。

これは、少し歩きすぎですね。本来は60分、長くても70分ほどに抑えたいところです。

それでも、思うのです。

たまにはこんなふうに、自分の街を迷いながら歩いてみるのも悪くない、と。

もちろん、平日の朝にやるべきではありませんが、休日なら少しぐらい道に迷ってもいい。そういう「道草」や「遠回り」が、新しい発見につながることがあるからです。

実際、今日たどり着いた霊園は、驚くほど整備が行き届き、静かで美しい場所でした。途中、こんぴらさんも祀られていて、お参りもしてきました。思いがけない出会いや場所の発見は、日々の生活に小さな潤いをもたらしてくれます。

会社勤めをしていると、毎日が同じような繰り返しになりがちです。だからこそ、日常の中で生まれる些細な変化や発見を、大事にしたいと思っています。

これは散歩に限った話ではありません。

仕事や読書においても同じです。

仕事では、なるべく新しいことに挑戦するよう心がけていますが、読書となると、どうしても昔読んだ本をもう一度読むことが多くなっています。映画やドラマも、気づけば新作よりも、昔観て印象に残っている作品を再び楽しむことの方が多くなりました。

これが「歳をとる」ということなのかもしれませんね。

懐メロや昭和の名作に心惹かれるのも、自然なことなのだと思います。

でも、それと同時に、新しいものに対するアンテナは常に立てておきたいとも思います。好奇心を失うことは、心が老いてしまうことにつながるような気がするからです。

老いること自体は決して悪いことではありません。

ただ、何かに興味を持ち続ける姿勢だけは、年齢に関係なく持っていたい。

今日の迷い道が教えてくれたのは、そんな心のあり方でした。

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