読書 – 新作は読まずに古典を読む

コラム

最近、仕事とnoteを書くこと以外にすることがなくて困っています。映画やドラマも観ても面白いと感じることができず(というか、最後まで観る気力がないというべきか)、ゲームもほとんどやっていません(ゲームについてはフロムソフトウェアの宮崎英高の新作が出ればたぶんやると思います)。

これ、老化でしょうか? どこかで、以前熱中していたものに興味が持てなくなったら、ヤバいという言葉を目にしたことがあります。YouTube動画のタイトルだったかな? 若いときは、退職して濡れ落ち葉になるおじさんたちをひとごとのように見ていましたが、まさにいま、自分がそういう立場にあります。

本を読むことは毎朝のルーティンのおかげで癖が付いて読み続けることが出来るようになりました。朝の時間以外にも時間があれば本を読んでいます(最近はKindleではなくてhontoを使うことが増えています。クーポンが適用されると結構お安いのですよね)。

そこで、時間を持て余すくらいなら、徹底的に本を読もうと思っています。なんの本を読むかですが、もうこの歳ですし、新作は読まなくて良いかなと考えています。比較的古典と呼ばれるもの。古典と言っても文字通りの古典だけではなくて、昭和以降でたいていのひとは読んでいるだろうと思われる本を読んでいこうと思います。

いま、朝読んでいるのは、司馬遼太郎ですが、このまま朝は司馬遼太郎を発刊されているものは読んでしまおうと思います。朝は電子書籍を読みますが、それ以外では紙の本、以前古本屋で購入した全集、

  • 池波正太郎全集
  • 藤沢周平全集
  • 吉村昭全集

をコツコツ読んでいこうと思います。じつは、以前、時間ができたら読もうと思って購入した『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』もまだ手つかずです(須賀敦子の巻は読んだかな……)。こちらも読んでいこうと思います。こういった本を読んでいると、とても新作まで手が回らないと思いますが、まぁ、いいかなと。あんまり最近の作家さんで読みたいと思える方はいないので。

と、宣言しておきながら、本を顔に被せてうたた寝しているじぶんの姿も目に浮かぶのですが。まぁ、なにかとせわしい世の中になってきました。こういうときこそ、古典と呼ばれる本に目を向けて、読み直してみることも何か意味のあることなのではないかなと思います。

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