以前、社会人になると何故本が読めなくなるのか、ということについて書いた本が出たことを記憶しています。私は読んでいないのでその内容は分かりませんが、私の過去を振り返ってみても、社会人になって本を読まなくなったのは確かです。
小学校、中学校の頃は本の虫と親戚に言われていたくらいで、自分でも学校の図書館の本を全て読破してやると思っていて、小学校の時は達成した記憶があります。中学の時もチャレンジしていましたが、達成できたのかどうか覚えがないです。小学校の図書館の様子は今でも思い出せますが、中学校の図書館については思い出せないので、達成していないのかも知れません。
よくよく思い出してみると、中学校時代は図書館の本はあまり読まなくなっていたような気がします。自分で本屋に行って読みたい本を買って読んでいました。それこそ、角川文庫の横溝正史シリーズは全て読みましたし、大藪春彦の本は角川文庫以外の出版社の本も本屋で探しては買い漁って読みました。ですので、興味の対象が学校の図書館の本ではなくなっていたのでしょう。
高校になってからは柔道と空手、大学になってからは空手と勉強しかした記憶がありません。特に大学時代は、本も読みましたが大学の講義に関連する専門書ばかりで、文芸書はほとんど読んでいなかったと思います。興味の対象が本ではなかったわけですね。
社会人になってからは仕事のことしか考えていなかったです。本もほとんど読まなくなりました。同期のみんなはビジネス書を読んでいましたが、私はどうしても読む気がしなくて読まなかったです。商社マンをやっていたときは深夜まで働いて飲みに行って、タクシーで寮に帰って寝たと思ったらもう朝が来て、8時には会社にいるという生活を送っていましたから、物理的に時間がないですよね。
外資系のIT企業に入ってからは技術書ばかり読んでいました。元々文系ですし大学時代にコンピューターを勉強していたわけではないので、周りについていくのが精一杯でした。そういう意味では、本は読んでいないわけではなく、文芸書をほとんど読んでいないということですね。
例外的にこの時期に読んだ本は、池波正太郎と藤沢周平、吉村昭くらいでしょうか。この3人の本は、恐らく全部読みました。でも、15年くらいでこれだけですから、とても読書をしていたとは言えない量でしょう。
その後、小説家の先生に師事して小説を書いていました。5年くらいでしょうか。この間は、乱読といっても良いくらい本は読みました。いちいち書名を挙げることができないくらい、新人からベテランまで、本屋さんやAmazonで目に付いたものは全部買って読みました。今私の家の本棚に納められている本はその時に買ったものが殆どです。
小説を書くのを止めてから5年ほど経って今に至るわけですが、この5年間もほとんど本は読んでいなかったです。AI系のベンチャー企業の立ち上げを手伝ったり、新しい職種の仕事を始めたりしたこともあって、そちらのキャッチアップが忙しかったということもあります。
しかし、この1年を振り返ってみると、忙しい、とか、時間がない、というのは言い訳に過ぎないことがよく分かりました。既に何度か書いていますが、朝、ジムでウォーキングするというルーティーンにkindleによる読書を組み込んだだけで本を読めるようになったからです。
歩きながら、たかだか1時間です。しかし、確実に本を読み進めることが出来るようになって、この習慣を始めてから月に2冊から3冊は読んでいます。今は司馬遼太郎作品の全巻読破を目標にしています。
しかも、朝だけでなく、夜の空いている時間も紙の本を読むようになりました。こちらは特にジャンルや作者を決めないで読んでいますが、今はフランス人が書いた山田洋次監督の伝記翻訳本(約800ページ、1万円を越える分厚い本です)を読んでいます。
その影響でしょうか、本屋さんにも行って目に付いた気になる本を買い込むようになりました。今まではほぼ100%、kindleとhontoの電子書籍か配送だったので、まさか本屋に行く習慣まで戻ってくるとは思いもしませんでした。大学の時、新宿の紀伊國屋書店に通って本を漁っていたことを思い出しました(専門書、学術書でしたが)。
ですので、社会人でも本を読めないわけではないと思います。仕事は若いころよりも忙しくなっているくらいですから、時間や気持ちの余裕が理由ではないと思います(もしかしたら気持ちの余裕は少しあるかも。歳をとって鈍感になった分、気持ちに余裕があるのかも知れません)。
習慣。ルーティン化することで読書習慣を取り戻すことは、必ずできます。私が実際に経験したことなので、間違いないです。毎日1時間で良いので、習慣化しましょう。そうすることで、想定していなかった自分の可能性や毎日の風景が見えてくるかも知れません。
コメント