今日も萩からAIネタをお届けします。萩の静かな環境は思索を深める助けになり、今日もAIと創作の関係について考えていました。
最新の生成AIは、多くのモデルがネット上の大量の情報を学習しており、一部のモデルは検索機能も備え、最新情報を取得・分析・整理してアウトプットしてくれます。これにより、情報収集やファクトチェックに費やしていた時間が大幅に短縮できるようになりました。
しかし、物書きとしては(もうnoteを100日以上毎日書き続けているので、素人ながらも物書きと自称させていただきます。笑)、気を付けなければならないこと、しかもかなり致命的に気を付けなければならないことがあることを最近気付きました。
それは、生成AIのアウトプットは多すぎる、ということです。そして、そのアウトプットがあまりに貴重であるような気になってしまって、そのまま使う人が結構いるということを問題にしたいと思います。
これは、とくに仕事でGeminiを使っている人を見ていて感じたことです。あまりにもいろんな大量の情報を要領よく整理してレポートを書いてくれるので、それをそのまま部下に共有する営業マネジャーがいました。
これ、読む方からしたら地獄です。確かに作る方の手間は省けていますが、読む手間は省けていません。つまり、このマネジャーは「読む人のことを考えていない」のです。
文章を読むことに慣れている人や論文を読むことに抵抗がない人であれば、問題ないのかもしれません。しかし、多忙な営業の現場では、長文のレポートを読み込む余裕がない方も多いものです。そのような環境では、AIが生成した長文レポートはほとんど読まれないことも珍しくありません。
もし、AIが出力した文章を使うのであれば、読む人の立場を考えて以下のような工夫が必要です:
- AIに対して「300字以内で」など、明確な長さの指示を出す
- 箇条書きや見出しを活用して読みやすさを重視するよう指示する
- 自分で不要な部分を削除し、重要ポイントだけを残す
- 読者にとって最も価値のある情報が最初に来るよう構成を見直す
以前、小説講座に属していたとき、先生から「文章をいかに捨てるかが大事」ということを何度も聞きました。また、特に時代小説や歴史小説を書く際には、史料を調べて集めることで満足してしまい、それを情報として小説に盛り込みすぎて、結局小説ではなく、論文になってしまうことのリスクについて注意を受けました。
それと同じことが、特にAIが当たり前になった時代でもいえるのではないでしょうか。というよりも、むしろ重要性が増してくるような気がしています。
AIは確かに便利です。人間では調べきれない情報を、言語関係なく、大量に集めてくれます。しかし、それがどのように大事で、どのように取捨選択されるべきなのかを判断するのは人間の仕事なのではないでしょうか。
もちろん、自分でやるのもよし、AIに依頼してやってもらうのもよしです。大事なことは、その情報を集めている目的が何かを忘れないようにすること。情報の海に呑まれて、その情報が全て重要であるような錯覚に陥らないことです。
そのためには、特に物を書いているときは、次の3つを常に意識することが重要です:
- その文章が誰に読んでもらうことを想定しているのか
- 伝えたいことは何なのか
- 読者の時間と注意力は限られていることを忘れない
AIがない時代ですらそうでした。AIの時代は情報格差がなくなる時代でもあり、それゆえに情報の選別眼が問われる時代でもあります。
徹底的に情報を削る。物書きにとって大事なこの言葉は、AI時代にこそ一層重要性を増しているのではないでしょうか。
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