昨日は父の88回目の誕生日でした。
子供と孫が全員集まって盛大にお祝いしました。
180cmを越えていた父はすっかり小さくなっていました。
でも、気持ちは若いままなのかも知れません。
ニュースなど意見の分かれる話題にも積極的に参加して、自分の意見を言います。
老いても頭の中では考えを巡らせているのでしょう。
わたしも来月60歳になります。
若いころから父に似ていると言われていましたから、父の今の姿は30年後の自分の姿です。
頑固で気が短くて、でも永遠に越えられない父。
終戦のとき、小学生であったにもかかわらず、大陸から母親や弟たちを守り、修羅場をくぐって帰ってきた男。
柔道の達人。彼に対抗して、わたしは空手を始めたのでした。
わたしは彼のように生きられるでしょうか。
父は校長まで勤め上げた教育の道を、60歳で完全に引退しました。
びっくりするくらいサッパリと。
塾をしたり地域の教育活動に従事したり、老後も教育に携わるのかと思っていました。
わたしはどうすれば良いでしょうね。
60を目前にして、いまだに自分の道を迷います。
父は30年以上、一筋に教職にあり、彼の人生はそれとともにあったはずです。
しかし、一切の躊躇なくーー父の心のうちは窺い知れませんがーー「足を洗った」のです。
天職は自分で選ぶものではなく、人が与えてくれるもの、というのがわたしの考えです。
その考えが正しければ、教職は父の天職であったはずです。
父は天職を捨てたのでしょうか?
それともわたしの考えが間違っているのでしょうか?
いままでわたしは、いま与えられていることを続けていれば、自ずと答えは出ると思っていました。
しかし、父のこの30年を見ると、そうではないのかも知れないと思ってしまいます。
毎日与えられたことを丁寧に心を込めて繰り返していくことが大事だと思っていましたが、それは考えることを放棄した、自分から逃げる言い訳だったのではないかーー
父にその答えを聞くわけにはいきません。
わたし自身で、死に物狂いでも考え続けて、結論を出さないといけないことなのだと思います。
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