先月末、母が所有していたビルを無事に売却することができました。母が起業して三十年、その中でビルを購入してから二十年。管理会社もつけず、すべてを自分ひとりで管理してきたビルでした。
それだけに、愛着も思い入れも深く、売却の前日には、すでに家具などは撤去され骨組みだけになった事務所で、ひとり八時間ほど過ごしたそうです。母なりにこの三十年を振り返り、このビルに御礼を言いたかったのでしょう。
母が高齢となり、そろそろ事業を畳むことを考え始めなければならなかった五年ほど前、わたしは「どのように母のビジネスを終わらせるべきか」を真剣に考えました。三十年の血の滲むような努力と成果を、無にするわけにはいきません。経営が立ち行かなくなって倒産するわけではありません。単に、わたしに母の想いと事業を継ぐ能力がなかっただけです。
だからこそ、ある意味「ソフトランディング」で事業を終了させる必要があると感じました。
母の主な事業はブティックとビル経営でしたが、ビルの売却は最も難しく、時間がかかることがわかっていました。そのため、まず起業三十周年を機に、ブティックを先に閉じることを優先しました。
昨年初め、それを無事に完了し、大事なお客様をお招きして、ブティックでお別れパーティーを催しました。
東京からデザイナーの方々もいらして、こじんまりと、あまり大きな会にはしないよう気をつけていたのですが、結果としては盛大な会になってしまいました。
問題は、やはりビルの売却です。ローンも残っているため、返済や会社のクローズにかかる費用をすべて考慮しながら、売価を慎重に検討し、実行する必要がありました。賃貸用のビルを高く売却するポイントは、テナントが100%入っているか否かです。優良テナントが長く定着してくれれば、その分利回りが良くなります。
そこで、五年前から優良テナントの誘致に本腰を入れました。ところが、地元の不動産会社の協力が得られず、なかなか成果が出ませんでした。そのとき感じたのは、母が「女だてらに地元でビジネスをしていること」自体を快く思っていない人たちもいたのだな、ということです。表向きは協力的でも、実際には足を引っ張るような場面を何度も見ました。
そこで、地元の不動産会社に見切りをつけ、知人の東京と福岡の不動産会社の社長に連絡し、わたしを含めた三人でプロジェクトを立ち上げました。目的は、母の事業を穏やかに、きれいに終えるためのビル売却です。
この売却で儲けようとは思っていません。あくまで母の三十年間を無駄にせず、評価を落とすことなく終わらせること。これが最優先でした。
二人の社長はわたしの想いを聞いて、「チーム」になってくれました。ここから、管理会社の設立、テナントの誘致、売却先の選定と、複数のタスクが同時に進行していくことになります。
この二人は、わたしが昔から信頼している人たちで、これまでもさまざまな局面で助けてもらったり、助けたりしてきた間柄です。まさかこのプロジェクトに関与してもらうとは、当初は想像もしていませんでした。
しかし、結果は「吉」と出ました。チームワークの良さもあって、話はトントン拍子に進み、チーム結成からわずか半年余りで成果が出ました。希望通りの金額で、ある企業が購入を決めてくれたのです。複雑な売買条件も、三人でしっかりレビューし、抜け漏れなく手続きを進めることができました。
本当に、彼らには感謝しかありません。おかげで、母のビジネスが名実ともに、最も望んでいた形で幕を下ろすことができました。
昨日は、チームとなってくれた社長のオフィスで、ささやかな祝宴を設けました。社長と事務の女性、そしてわたしの三人だけ。社長が寿司を取ってくれるというので、わたしはちょっと奮発して、いいシャンパンを持参しました。わたしの知らなかった裏話も聞けて、ほんの三時間ほどの宴でしたが、とても楽しい時間となりました。
わたしは、人生を豊かにするには、三つの「縁」を大切にすべきだと思っています。
ひとつ目は、「人の縁」。人と人が結ぶご縁です。就職や転職も、このご縁によって決まります。
ふたつ目は、「地の縁」。土地や家とのご縁です。縁のない土地には、長く住むことはできません。その土地と出会い、そこに住めることには、なにか意味があるのだとわたしは思っています。その意味で、わたしは地の神様を大切にしています。
みっつ目は、「猫の縁」。わたしと相方は、これまでに七匹の猫と縁を結び、共に生きてきました。この猫との縁がなければ、わたしたちの人生はどれほど無味乾燥で、つまらないものだったことでしょう。
この社長たちとも、人の縁で結ばれました。いまの住まいや仕事場も、この方たちとの縁があってこそ見つかった場所です。つまり、地の縁もあったのです。
わたしは、これからもこの三つの縁——人、地、猫——を大切にしながら、生きていきたいと思います。
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