昨日のAppleの新製品について思うこと

コラム

昨日のAppleの新製品について思うこと

昨日9月10日、Appleの『Awe Dropping』イベントが開催された。
毎年リアルタイムで観ているわけでは無いが、翌日朝一で何が発表になったのかを確認する程度にはApple信者だった。
しかし、今年はそれもしていない。ちらっと日経のヘッドラインとして目にしただけだ。

午後になって嫌でも情報が入ってきた。iPhone17シリーズ、iPhone Air、AirPod Pro3、Apple Watch Series11がリリースされたとのことだ。
iPhone17やiPhone Airについては想定済みで驚くことは無かったし、私は今のiPhone16eに満足している。サイズと言い、カメラの謙虚な佇まいと言い、電池の保ちと言い、欠点は無い。カメラに興味の無い私にとっては、初代を除いて歴代ベストiPhoneだ。

AirPod Pro3には少し惹かれた。同時翻訳が本当に実用的なのであれば、検討しても良い。
しかし、ふと我に返った。もう外国人と話すことって無いんじゃないかな、と。
まぁ、仕事では外国人と話すことはもう無い(というか、避けている。立場的に意味が無いから)けれど、海外旅行にはまだ行くと思うので、その時用に夫婦で持っていても良いかなと思う。

Apple Watchは個人的には注目していた。散歩ジャーナリングには必須だからだ。歩いている最中に思い付いたことをDraftsに音声入力してテキストに残したり、Siriにちょっとした調査を依頼したりする。
どのガジェッターたちもSEが良いと仰っているようだが、私が注目したのはやはりULTRA3だ。
バッテリの持ちと、ディスプレイの広さは、老眼になってますます手元が怪しい私にとっては、何よりも有り難い。ブラックチタニウム、カッコイイ。

これから年末にかけて、恐らく新しいMacBookがリリースされるだろう。しかし、私には既にMacBook AirもMac Studioもある。執筆のワークフローはハードもソフトも完成している。
私は若いときからApple製品がリリースされると、あたかもアイドルの追っかけのように、新製品を購入していた。それ自体が楽しく、夢があり、目的だったのだ。趣味と言っても良い。車好きが新車を買ったり部品を追加するのと同じだ。
しかし、今はだいぶ感覚が変わってきている。これを歳のせいだとは思いたくない。私にとってApple製品は、もはや買うことを楽しむのではなく、どう使うかを楽しむというフェーズに入ったのだと、信じている。
今は、MacBook AirやMac Studioでどういう小説を書くか、どういう文章を書くか、iPad miniでどんな本を読むか、を考える方が楽しいし、私にとって何よりの重大事項になっているのである。

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