以前、萩に来たときにiPad miniを持ってこなくて後悔した──そんな話を書いたことがあります。今回はその反省を踏まえ、迷わず持ってきました。そして、やはり持ってきて良かったと、今、心から思っています。

日中の仕事中は、横向きにしてデジタル時計として机の上に置いています。ときどきプライベートのメールやメッセージをチェックするのにも便利です。平日は仕事用のMacBook Proが机の中心を占めていて、個人用のMacBook Airをわざわざ出すのは少し億劫。だから毎朝のエッセイは、もっぱらiPad miniで書いています。
タイトル画像もChatGPTに作ってもらえるので、Photoshopの出番はめっきり減りました。以前は画像編集といえばPhotoshopでしたが、いまではすっかりご無沙汰です。こうした「少しずつ不要になっていくもの」に気づくのも、旅先での静かな時間だからこそかもしれません。
休憩中にはKindleで読書。いまはまた藤沢周平の短編連作『獄医立花登手控え』シリーズを読み返しています。気が向いたときに、ぱっと開いて読み始められる軽やかさがいい。疲れているときは漫画を読むこともあります。気分に応じて気軽に本を選べるのも、デジタル書籍の良さ。そして、iPad miniだからこそ、他のデバイスを持ち歩かなくて済むという「ポケットの延長」のような感覚が、いまの自分にちょうどいいのです。
小説のアイデアについてAIと議論するのも、iPad miniで行います。最近では音声入力も多用するようになり、キーボードに触れる時間が減ってきました。つまり、キーボードが不要ということは、パソコンも不要ということ。今日は土曜日なので、たまたまMacBook Airでこのエッセイを書いていますが、平日の朝であれば間違いなくiPad miniで書いていたでしょう。
実際、第2稿、第3稿くらいまでの小説執筆であれば、iPad miniだけで完結できると思っています。さすがに第4稿以降の、縦書きレイアウトや細かな文字組みを意識する段階になると、Macでの作業が必要になりますが、それはあくまで仕上げの段階の話。
こうしてみると、いまやわたしのデジタルタスクの多くが、iPad miniひとつで完結しています。だからこそ、取り回しの良さは重要です。以前ご紹介したMOFTのスタンドは軽くて便利ですが、どうやらケースとの相性が悪かったようで、粘着がうまく定着せず、ちょっとした拍子に外れてしまいました。


そこで今回は、ケースを外し、iPad mini本体に直接スタンドとペンホルダーを装着しています。これなら粘着もしっかり固定され、使用中に外れる心配もありません。しかも、本体を傷付けることもなく、粘着痕も残りません。最初からこうすれば良かった、と今さらながら思います。
本体むき出しの運用は多少気を使いますが、AppleCare+に加入しているという安心感が、日常的な使用を後押ししてくれます。これもまた、安心を買うという意味での「デジタルな保険」なのでしょう。

コメント