夢の中にトランプ大統領が出てきました。夢の中のトランプさんはとてもフランクで、ニコニコしていました。握手をしたことは覚えていますが、どういう話をしたかは全く思い出せません。
この夢で、昔わたしがアメリカに対して抱いていた憧れを思い出しました。たぶん最初のきっかけは、中学校のときです。英語の先生が、文部省の研修プログラムか何かでアメリカに数ヶ月滞在しました。そのフィードバックが学校であったのです。今となっては懐かしいスライドプロジェクターで教室のカーテンを閉めて暗くして映写してくれたのでした。
わたしが中学生ですから、1970年代後半です。アメリカ大統領はジミー・カーターの時代。ちょうどベトナム戦争が終わって、ホメイニ師によるイラン革命が行われたり、アメリカではスリー・マイル島の原発事故があったころです。
プロジェクターに映し出されたアメリカの街や人々の生活の様子は、中学生の時のわたしを興奮させるには十分でした。真っ青な空、広い道路、そして大きな庭でバーベキューを楽しむ人たちの幸せそうでエネルギーに満ちた空気に憧れました。
いつかはアメリカで仕事をしたい、と思いました。英語の勉強を頑張り始めたのもそのころです(ただし、後に友人の「発音がおかしい」という一言で英語が嫌いになるのですが)。
高校に入ったときは既に英語は嫌いになっていましたが、アメリカで仕事をしたいという漠然とした想いはまだあって、当時のわたしの志望は外交官でした。国際政治を専攻したいと思っていたのです。
その後、大学に入ったわたしはアメリカではなくイギリスに留学することになります。ちょうどロスオリンピックのときで、人混みが嫌いなわたしは、静かなイギリスを選んだのでした。
あれだけアメリカで働きたいと思っていたのに、今考えると変ですが、たぶん、当時シャーロック・ホームズにかぶれていたのではないかと思います。ケンブリッジでの生活は楽しくて、それはそれで良い想い出になっています。
新卒で入った会社は商社でした。専門職には受かったものの、一般職の外交官試験に失敗したわたしは、海外で仕事ができれば良いやと、ヤケクソで商社に入ったのです。しかし、以前もどこかで書きましたが、配属されたのは財務部門で、海外とは縁のない仕事でした。
アメリカと縁が出てきたのは、外資系のIT企業に転職してからです。まだWeb会議とかない時代ですから、毎年のようにサンフランシスコの本社に出張していました。ここに至って、ようやく子供のころからの夢を果たしたことになります。
わたしがサンフランシスコに通っていたころのアメリカ大統領は、ビル・クリントンからジョージ・W・ブッシュです。そのころアメリカの印象は、悪くありませんでした。仕事も楽しかったですし、そこでの生活も期待通りのもので、本気で転勤を考えたこともあります。
わたしがアメリカに憧れなくなったのは、上司がアメリカ人ではなくインド人になったころからでしょうか。移民や多様化が進んで、アメリカ本社にもアジア人が増えてきました。別に人種差別的な意味ではなく、まぁ、わたしたちもアジア人ですから、有り難みがないというか(笑)。
ちょうど電話会議が普及してきて、出張しなくても本社とコミュニケーションが取れるようになってきて出張が減ったということもあると思います。日本にいて、電話でインド人と話をするって、別に期待していた仕事のスタイルじゃないんですよね。
それだけではないですが、いろいろあって、その会社を辞めました。この会社にはまた入社することになって、いまでも実は在籍しているのですが、そのころから今も、アメリカに対する憧れはだいぶ薄くなってしまいました。というか、ほとんど興味がないです。
いま興味があるのは、やはり日本にいるお客様です。日本のお客様のビジネスをいかに変えていくか、成長していただくか、成功していただくか、そちらの方に興味があります。アメリカ本社の方を向いて仕事をするのは御免です。わたしが管理職を辞めて、いちエンジニアの道を選んだ一番大きな理由はそれです。
その意味で、トランプさんはわたしのアメリカに対する今の印象をまさに象徴している存在と言えるかもしれません。憧れはもちろんありませんし、わたしにとっては石破さんと何ら変わりません。つまり、興味がありません。
あれだけ若いころ憧れていたアメリカに対して、今は興味もないなんて、これが老いなのかなという気もしなくもないですが、わたしの幸福や満足に関する価値観が変わってきていることは確かです。「生活したいのはアメリカよりも福岡」。「憧れの場所はサンフランシスコではなく、萩」。そして、今はいつ来るか分からない未来より、今日や明日を大事にしたいです。
コメント