デモと物語 ― 提案骨子という名のプロット

コラム

昨日は、まる1日仕事漬けの一日でした。

ここ数週間かけて準備してきたデモンストレーションを、お客様の前で披露しました。デモそのものの評価は悪くありませんでしたが、結局は「値段」で不採用となりました。どうやら、社長の優先順位とカウンターの方の優先順位にズレがあったようです。

一方で、やはり数週間かけて準備してきた別件は、無事契約の見込みとなりました。自分で言うのもなんですが、デモの質に大きな差があったとは思えません。違いがあったのは、おそらく——いや、確実に——提案骨子です。

提案骨子がしっかりしていれば、デモは自然と「証明」となります。つまり、デモは単なる演出ではなく、提案内容が現実的であること、実行可能であることを示す「根拠」なのです。裏返せば、ズレた骨子の上にどれだけ立派なデモを作っても、的外れな提案にしかなりません。だからこそ、お客様、特に決裁権を持つ社長の興味や優先順位を正確に捉える力が、営業力の核心なのだと痛感します。

実際、しっかりした骨子があると、デモ作成は驚くほど楽になります。シナリオもスラスラと書ける。……まるで、小説のプロットと同じです。

創作においても、「テーマ」と「プロット」が明確であれば、物語は自然と流れ出します。しかし、不思議なことに、仕事では冷静に「良い骨子」「悪い骨子」を見極められるのに、自分の創作となると途端にその判断が曇るのです。

なぜでしょうか?

おそらく、創作は「魂に近すぎる」からなのだと思います。自分の内側から出てきた想いに、無条件で価値があると思いたくなる。でも、そうとは限らない。「想い」と「価値」は、必ずしも一致しないのです。

それを一致させるには、やはり努力が必要です。生まれつき一致している一部の天才は別として、凡人である私たちは、読者の関心や時代の文脈を冷静に読み解き、AIの力を借りてでも「想い」に「価値」を与える工夫を続けなければなりません。

提案骨子のように、小説にも「届く」プロットを——それを忘れずにいたいと思います。

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