私は7回転職をしています。回数だけ見ると平均より多いかも知れません。ただ、そのうち2回は同じ会社への転職ですし、1回は家業を手伝うための転職なので、それを除外すると、いわゆる純粋な転職という意味では、4回ということになります。
4回も転職していれば、少しはキャリアについて思うところを書く資格はあるのかなと思い、このテキストを書いています。
キャリアとはなんでしょうか? 私はキャリアには2種類あると思っています。1つは、「キャリアプラン」という言葉があるとおり、「やりたい」「こうなりたい」ということを実現するためのもの。
もう1つは「キャリアを積んできた」という言葉にあるとおり、「結果として」自分がやってきた仕事のこと。
よく若い方に向けて大事だと言われるのは前者です。新卒で就職するとき、就職してその会社の中で昇進して行く中で重要視されるのはこの意味でのキャリアです。
一方、実際に転職するときにヘッドハンターや人事が重要視するのは後者です。
キャリアを考えるときには、この2つの違いを意識しておくことが大事です。なぜなら、大抵の場合それらが同じであることはなく、それを必要とする場面も、必要とする当事者も異なるからです。
自分の未来に思いを馳せるとき、1つ目の意味でキャリアプランを立てることは非常に大事です。自分の希望と能力、希望の業務を遂行することがまだできない状況であればスキルアップのための手を打たなければなりません。何年後にはこうなっていたい、従っていついつまでにこのスキルを身に付けなければならない、と主観的、戦略的にプランを立てることが大事です。
一方で、社会人生活が進んでいくと、必ずしもそのプラン通りに進まない局面が出てきます。資格試験を受けたけれど、受からない、希望の部署に異動できない、思うような仕事をさせてもらえない、といったことが起きます。と言うより、そっちの方が普通の人は多いと思います。自分の希望と能力が一致していて思う通りのキャリアを進めるのは一握りの人たちです。
私は、ここで一握りではない方々に向けてこのテキストを書いています。
たいていの場合、このギャップが大きくなるにつれ、人は夢を失い、人生を諦め、淡々と社会人生活を送ることになります。キャリアパスという言葉も形骸化してしまい、日々の忙しさに流されてしまいます。
それ自体が悪いと言うつもりはありません。実際、私もそういう生活をしていました。商社にいたころも、IT企業にいる今でも、仕事は山のようにあって気が休まる暇がありません。
ただ、私はそんな中でも意識していたことがあります。それは、2つめの意味で言うところのキャリアは「天職」である、ということです。
落ち着いて自分のやってきたことを振り返ってみましょう。やりたいことができていない、今の仕事は自分がやりたかったことではない、そういった根拠のない焦りや無力感をいったん捨てて、自分の過去といま置かれている状況を冷静に見てみましょう。
2つめの意味で言う、積み重ねてきた「キャリア」は、確かに自分の思っていたものとは違うかも知れません。しかし、少なくともその仕事は「他の人が自分を信頼して、自分ならできると思って任せてくれている仕事」ではありませんか? もしかしたら、誰よりもうまくできる仕事、他の人では自分ほどはうまくできない仕事ではありませんか?
私は商社からIT企業に入ったとき、技術者になりたかったのです。ただの技術者ではなく、お客様の経営課題をテクノロジーで解決することのできる技術者です。お客様に技術で成功していただき、そして対価を得る。押し付けの技術ではなく、お客様とWin-Winになることのできる技術を身に付けて、お客様と共に仕事をしたい、そう考えていました。
しかし、現実は違いました。私はサポート部門に配属されたのです。そこからIT企業における私のキャリアは20年近くサポートに関する仕事でした。しかも、人材が不足していたこともあって、いち技術者としてのキャリアを積む間もなくマネジメントを任され、もっぱら組織の立ち上げや建て直しをやらされることになります。
若いころはそのギャップに失望して諦めたこともあります。忙しすぎて考える時間も無かったというのが実際のところではありますが、いつも漠然と、満たされない気持ち、不満を抱えていました。こんなのは本当の自分ではない、いつかこういう状況から抜け出さなければ、そういう焦燥感に焼かれていました。焦るあまりに自暴自棄になったこともあります。
しかし、いつだったか明確に時期を覚えていないのですが、ふと、あれだけ強くやりたいと思っていたことがあって、しかもそれをやるために勉強もし、資格も取ったのに、その仕事をやることができないのは何故だろうと考えたことがありました。
そのとき私は気付きました。それは、やりたいと思っていないその仕事が、実は自分にとって「天職」であるからだと。
「天職」は自分で得るものではないのです。他人から与えられるものです。言い方を変えると、自分に何ができるか、自分が価値を出せる仕事は何なのか、少なくとも他人がそう評価しているものは何なのか、それが「天職」なのです。
それを理解したとき、私はそれまで持っていた漠然とした焦りや不安、不満というものから解放されました。当たり前のことですが、自分が自分に下している評価と、他人が自分に下している評価との間にはギャップがあります。そのギャップを理解したとき、私は自分では気付いていない自分の能力に気付いたのです。
いまやっている仕事は元々自分がやりたいと思っていた仕事ではないかも知れません。しかし、少なくとも、それは他人から見てその仕事はあなただからできる、あなたでなければできない、と思われている仕事なのです。つまり、それは1つの才能です。その才能を大事にして育てましょう。
私は今、ソリューションエンジニアとして、お客様の経営課題を解決するために技術的解決策を提案する仕事をしています。管理職ではなく、いち技術者としてです。あれだけやりたい、やりたいと思っていて、それでも20年以上できなかったことが、今ようやくできるようになっています。
「天職」はあなたの「才能」です。それを大事にしましょう。そうすれば不必要な焦燥感や不安感に悩まされることはなくなります。そして同時に、やりたいと思っている「夢」も大事にしましょう。決して捨ててはいけません。それは常に心の中にある「篝火」であり「祝福」としてあなたの心を癒やし(ダークソウルやエルデンリングをプレイした方ならお分かりですよね)、希望とモチベーションの源泉となってくれるでしょう。
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