昨夜、「エルデンリング ナイトレイン」というゲームをオンラインでプレイしました。ゲーム仲間たちと集まり、ボイスチャットをつなぎながら共闘するのは、いつもなら楽しい時間のはずでした。けれど昨夜は、少し違っていました。
最初に立ちはだかった「夜の王」である「三つ首の獣」。初見のわたしにとってはとにかく強く、何度挑んでも敗れてしまいます。焦りが出てきて、口数が減り、次第にイライラが募っていきます。そんなとき、隣にいた相方が「アイテムは使わなくても拾った方がいいよ」「アイテムは△押しながら上矢印」とアドバイスをくれました。
本来なら感謝すべき言葉でした。でも、心がささくれ立っていたのでしょう。「うるさい、黙ってて」と、思わず言ってしまいました。その瞬間、空気が少しだけ凍った気がしました。オンラインの仲間たちも、おそらくその空気を察して、気を遣いながら対応してくれているように感じました。
あとになって自己嫌悪に襲われました。振り返ってみれば、わたしも相方がプレイしているときには、できもしないのに「ここはこうしたほうがいい」とか「なんでこうしないの」と余計な言葉をかけることもあるのに。
そんなとき相方はなにも反論しません。たぶん、そのままわたしの言葉を受け流しているのだと思います。それに比べて、どうして、自分はこうも短気なのか。どうして、大切な人に対してこそ、ひどい言葉を向けてしまうのか。
こういうとき、いつも悩みます。自分の「イライラしやすい性格」を矯正すべきなのか、あるいは、そういう自分を知っているからこそ、そもそもストレスを感じやすい状況(たとえばこうしたゲーム)を避けるべきなのか。
でも、たぶん、そのどちらでもあるのだと思います。ゲームであれ現実であれ、怒りっぽい自分を「なかったこと」にするのではなく、認めながら少しずつ「ましな自分」に近づけていくしかありません。
「うるさい」と言ってしまったあの瞬間の自分を、ほんの少しでも変えられるように、なにができるでしょうか。
実際のところ、昨日は病み上がりでした。体調も完全には戻っておらず、たぶんそれが心の余裕のなさにもつながっていたのだと思います。イライラは感情というより、体調や気圧や睡眠時間の複合的な結果です。
それに、昨夜のプレイでは相方はゲームに参加せず、横からの観戦者でした。プレイヤーではないからこそ、コメントが増えたのだと思います。もし相方もプレイヤーとして一緒に戦っていたら、お互いが「共にいる感じ」をもっと持てて、わたしもイライラしなかったかもしれません。
これからは、まず体調の良いときにプレイする、という当たり前のようでいて意外と難しいルールを自分に課してみようと思います。ゲームは楽しむためのものであって、耐えるものではありません。自分のコンディションを見極めたうえで遊ぶことが、周囲への優しさにもなります。
また、相方がプレイヤーとして参加しているときに、自分も入るようにしてみようと思います。ゲームという「場所」に同じ立場でいるだけで、心の距離はぐっと近くなる気がします。
そして何より、わたしは物書きを目指しています。物語の中では怒りも悲しみも、すべて意味ある感情として描くのに、なぜか現実の自分には厳しいです。
ゲームの時間を少し抑えて、その分、小説に向かう時間を増やしていくことも、自分との付き合い方の一つかもしれません。
感情に飲まれた夜(ナイトレイン=夜の治世)を、次の糧に変えていけるように。
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