これで何回目になるか分からないが、スティーヴン・キングの『書くことについて』を久々に読了した。
この本は、もしかしたらスティーヴン・キングの文章が苦手な人には読みにくいものかも知れない。しかし、原文と比べると、翻訳版はだいぶ読みやすくなっている。
個人的にはスティーヴン・キングは特別好きな作家ではない。そもそも私は、ホラーが嫌いなのだ。特に弱者が弱者で終わってしまう救いのないホラーは読んでいて辛い。
しかし、スティーヴン・キングのホラーは、弱者が弱者で終わらないことが結構ある。『シャイニング』やその続編である『ドクター・スリープ』はホラーの形式を取った超能力者の冒険活劇とも言える。
考えてみれば初期の作品である『キャリー』もいじめられっ子が同級生や親に復讐する話だった。主人公たちは結末がどうあれ、とにかく「異形」のものと戦う。少なくとも、その姿勢がある。そこが良い。
『書くことについて』を読むたびに、私は自分の「道具箱」を常に整備し、整理整頓しておくという基本に立ち返ることができる。
そして今回、ようやく気づいたことがある。この道具箱の整備こそが、私の文体——「抑制と具体性」——を支えているのだと。過剰な装飾を削ぎ落とす「抑制」も、正確な言葉を選ぶ「具体性」も、すべては整備された道具箱があって初めて可能になる。
私にとっての道具箱は主に3段から成る。
1段目は「語彙」だ。キングはこれを「文章の糧」と呼ぶ。語彙は量の多寡ではない。その語彙をどのように使うのか、つまりそれが「適切な」表現であるかどうか、が大事だ。
知らない語彙を知ったかぶりして使わない。自分の腹に落ちている語彙を、自分の言葉として語ることが出来ているか、それを私はいつも自問自答している。
文法も1段目に入れておくべきだとキングは言うが、私はこれを2段目に入れている。
日本では、普通に義務教育を受けていればそれほど文法に困ることはないと思う。文章が読者を前提にしている以上、意味の分かる文章を書く必要がある。文法はその最低限のルールなので、私はできるだけ正しい日本語を使うように注意しているつもりだ。
また、キングがしつこいくらい言っているのは、「副詞」を極力減らすということだ。副詞は、動詞や形容詞、他の副詞を装飾する言葉だが、これを根絶せよとまで言う。
この指摘は的を射ていて、私も気付いたら文章が装飾語の連鎖になっていてくどくなりがちだ。特に推敲の際には、この「副詞」根絶を意識している。
3段目は文章作法だ。キングは特に「パラグラフ(段落)」の重要性を説いている。小説のパラグラフは論文のそれとは異なり、自由で自律している。音楽で言えば、旋律よりもリズムが重視される。
キングは書くことの基本単位はセンテンスではなく、パラグラフだと説く。言葉が言葉以上の意味を持つようになるのはパラグラフの作用であり、内側から何かが動き出すとすれば、パラグラフのレベルにおいてである。
これは、Wordで縦書きの推敲をするときに特に意識している。パラグラフやパラグラフとパラグラフの間の空白は、小説の空気を表す。文脈によっては登場人物の心情をも表すと思っている。
私にとってパラグラフとは、どちらかというと視覚的なものだ。本を読むリズムを作り出すのは、実はパラグラフと、それらの間に挟まれている「空白」なのではないかと考えている。
これらの道具箱を用いて、「地中に埋まった化石」のような物語を見つけ出し、それをできるだけ傷付けずに、シャベルではなくエアホースや歯ブラシのような繊細な道具を使って掘り出すのだ。その化石をどれだけ完全な形で掘り出せるかで、小説の質が決まるとキングは言う。
そして、彼はプロットはその「化石」を壊すものだと指摘する。つまり、巨大な道具である「削岩機」(プロット)は化石を粉々にしてしまう可能性があるため、優れた作家は「シャベル」ではなく、「エアホース」や「歯ブラシ」といった繊細な道具、すなわち文章術を駆使して、物語のディテールを正確に表現していかなければならない、と説く。
初めて読んだときはこの意味が分からなかった。しかし、何作か小説を書き上げるようになってから、その意味が徐々に分かるようになってきた。
私も小説を書くときは、登場人物や彼らが置かれている状況、いくつかの断片的なシーンを元に書いていくことが多い。このプロセスが、キングの言う「化石」を発掘する作業なのではないか、と今なら思える。
道具箱が整備されていなかったり、雑然としていたのではこの作業が出来ない。道具箱を整備するには、自分のものにする語彙を増やし、正しい日本語を使うように注意し、文章作法のストックを増やすために本を読まなければならない。
そして何より、キングも言っていることだが、このプロセスが楽しいのだ。海のものとも山のものとも分からない、化石なのかただのゴミなのか分からない「それ」を、丁寧に掘り出して、整えて、本来あるべき姿を現出させる。これが創作の醍醐味だし、書くことの楽しさなのではないかと思う。
だからこそ、私は『書くことについて』を読み返す。道具箱を常に整備し、整理整頓しておくこと。それが、より良い化石を、より完全な形で掘り出すための唯一の方法だと、キングは教えてくれる。私にとって書くことの核心は楽しさであり、その楽しさを支えているのは、この地道な道具箱の手入れなのである。
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