『山田洋次映画を創る 立命館大学・山田塾の軌跡』読後感想

コラム

タイトルは山田洋次が映画を創る、となっていますが、本の内容は大学生の映画制作日誌的なものです。映画制作のノウハウとかTipsと思って読むと、少し期待外れかも知れません。

ただ、山田洋次監督の映画制作についての姿勢や示唆が散りばめられているので、学びや気付きはあると思います。私が得た気付きは大きく3つありますので、ここに書いておきます。

1つは、映画を創るためには人を観察する、人をよく知る必要があるということです。山田監督が繰り返し述べていて、学生たちも皆が口を揃えて言っていることです。これは恐らく映画だけでなく、全ての創作活動に言えることで、私が1番耳が痛かったことでした。

「人に興味を持つ、人を好きになって初めて自分の個性を知る」という山田監督の言葉に対して、ある学生は、「最初はよく分からなかったのです。僕自身、人のことはどうでもいいやって思っていた人間でしたから」と言います。この学生の言葉、私はとても共感しました。

私も他人に興味が持てない人間です。今でもそうで、それが私が小説を書くのをやめた理由なのです。人に興味が無い人間が、人を描く小説を書けるわけがありません。何ページも、何万文字も文章が書けたとて、魂がこもっていません。

この学生が映画制作を通して、自分たち学生も含めてスタッフたち映画制作に携わった人たちの人そのものや個性を理解しないといい映画は作れないのでは無いかと気付きます。そしてそのことが、山田監督の言う「人に興味を持って自分のことを知る」ということなのでは無いか、と。

このくだりを読んで、私が何故人に興味を持とうとしないのか分かったような気がしました。それは、人を知ることは、結局自分を知ること、自分に向き合うことだからです。私は自分と向き合うこと、自分を知ることを恐れていたのだと思います。

しかし、私ももう還暦。いい加減自分がどういう人間なのか、本質がどんなもので、何が強みで何が弱みなのか、さすがに気付いています。ということは、いまさら何も恐れることなく、他の人を観察する、知る、ということをやっても良いのでは無いか、そんな気になりました。

2つ目は、仕事の姿勢に関することです。山田監督は「ものを作るということは、魂がこもっているか、こもっていないかということ、それを受け止める方が理解できるか、できないかということなんだ」と言います。

これは2つの要素があって、1つは作る側が魂を込めているかどうかということ、もう1つは受け取り側がそれを理解できるかどうかということです。

私は今、本業については仕事ひとつひとつを丁寧に魂を込めてするように心がけています。いい加減なことはしない。自分が腹に落ちないことはそのままにしないようにしています。でも、それだけではダメなことを改めて気付かされました。

小説などのエンタメでは当たり前のことなのですが、やはりエンタメは受けてナンボ、売れてナンボなわけで、娯楽を受け入れる大衆のことを考え、その嗜好を意識した創作をしなければなりません。自分が作りたいものを作って良いのは、芸術家、しかも衆目に認められた芸術家だけです。でなければ、ただの独りよがり、自己満足です。

本業でも同じだなと思うわけです。どんなに丁寧に、自分が納得するように仕事をしたとしても、それがお客様の立場に立った時に、意味のあるもの、お客様の利益になるもので無いと意味がないのです。どんなに良いソリューションを組み立てて論を張っても、結局お客様のROIが成り立たなければいけませんし、お客様の課題を解決できないと本末転倒なのです。

3つ目は、現在の映画の製作そのものについてです。山田監督は今の映画の作り方に満足しておられないようです。日本のみならず、世界で高い評価を得られている映画は、1940年代から1950年代の映画に集中しているとのことです。世界の映画を見ても、やはりこの時代に名作と言われる映画が作られている。

それは何故かというと、当時は戦後ということもあって、若い人材が良いものを作りたいと情熱を傾け、工夫を凝らしてやっていたからだと。もちろん荒削りで、軽率で、はちゃめちゃだったかも知れないけれどエネルギーだけはあって、どんどん映画を作っていた。技術も素朴で稚拙だった。でも、みんなが何とかしようと工夫していた。

そういう人材を会社も支えていた。スタッフは皆社員で、薄給かも知れないけれど身分は安定していて、独創的なアイディアも出てきたし、ノウハウも各社に溜まって、代々承継されてきた。

それが、今は、技術はどんどん高度化し、道具やプロセスも肥大化している。でも、肝心な人間の方は、スタッフは非正規雇用の一時雇い。ノウハウも溜まらないし、中身がどんどん空洞化している。映画界は初心に戻って、60年くらい前からやり直した方が良い、と監督は言います。

これは映画界だけの話ではないですね。今私たちの仕事はパソコン無しでは成り立ちません。仕事のほとんどがデジタル化され、最近ではAIも使って当たり前の時代になりました。そんな中で、私たちは、それこそ中身を空洞化させないように、人間としてビジネスに関わる者として、頭を使って考え、判断し、その結果に責任を負うというプロセスの質を上げていくように自分を磨いていかなければならないと感じました。

今から原始時代に帰ることは出来ません。技術の進歩という果実に甘えず、あくまで道具として、バランス感覚を持って自分たちのアウトプットの価値を上げるために活用する。時代が便利になればなるほど手間を惜しまず、スピードが速くなればなるほど腰を落ち着けて熟考することを厭わない。そういう生き方をしなければと思いました。

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