「電脳パンツとしてのiPad mini」——Mac導入一か月の感想

コラム

福岡に戻ってきたので、今日は久しぶりにパソコンの話を書こうと思います。

MacBook AirとMac Studioを導入してから一か月あまり。仕事と創作の両面で十分に使ってみた今、その感想をひとことで言うなら——「iPad miniさえあれば、あとは何でもいい」ということです。

わたしはパソコンやデバイスを、仕事以外では主に「物書き」に使っています。その用途に限るならば、MacでもWindowsでも、正直どちらでも問題ありません。

必要なのは、Wordが使えること、日本語変換ソフト(わたしの場合はATOK)が高速に動くこと、それだけです。OSの違いは、創作活動においては本質的な問題ではありません。

実際、小説の執筆で本当にパソコンが必要になるのは、「第4稿」以降の段階です。縦書きレイアウトを意識しながら、細かく句読点や改行位置をチェックする——いわば文章の最終的な「見え方」まで整えるフェーズに入ってからです。

それ以前の段階、プロット作成や初稿・第二稿の執筆は、シンプルなテキストエディタが使えれば何の不都合もありません。

今回改めて思ったのは、実際に創作を始めてしまえば、デバイスに悩む暇などないということです。

以前は、どのマシンが最適かとあれこれ調べ、比較し、妄想に耽っていたものです。でもそれは、実際に書いていなかったから。創作をしていない頭の中だけの時間だったからです。書き始めれば、必要なのは「書けるかどうか」だけであり、ハードウェアへのこだわりはほとんど意味を持たなくなります。

ただし、ひとつだけ例外があります。iPad miniです。

このデバイスだけは、他に代替がききません。

読書、映画・ドラマ鑑賞といったインプットから、iPad版Wordを使った初期の原稿執筆まで、ほぼすべての創作活動の入口において活躍してくれます。しかも、その絶妙なサイズと軽さが最大の魅力です。

家の中でも、旅先でも、カフェでも、新幹線の中でも、すぐに取り出してすぐに書き始められるこの即応性は、他のどのデバイスにもないのです。

結論をもう一度繰り返します。MacBook Proでも、MacBook Airでも、Windowsマシンでも、用途に応じてご自分の予算で決めればいい。OSはどうでもいい。

でも、iPad miniだけは別格です。わたしにとって、これがなければ何も始まりません。まさに、電脳パンツ。ゲーム『Fallout』シリーズに登場する「Pip-Boy」のように、わたしにとっての創作活動の中枢を担う存在です。

「道具は、書いて(使って)はじめて見えてくる」

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