萩といっても、結構広いです。わたしが住むエリアは堀内といって、重要伝統的建造物群保存地区、いわゆる伝建地区に属しています。ひとことでいうと、世界遺産に登録されているので、簡単に家を建てたり改築したりできないエリアです。
この地区の地元の方々が中心となって毎年、観光客や他の地域に住んでおられる方を対象に、毎年ゴールデンウィークに行っているのが「萩城下町・堀内散策」というイベントです。手作りのイベントなので、地元の中学校の学生や先生たちも参加しています。
近所の方や町内会の会長にご挨拶した際にこのイベントのことを知って、是非参加してみてくださいとアドバイスをいただきました。結論から申し上げると、このイベント、参加して正解でした。
わたしは萩のことは事前にいろいろ調べましたが、幕末の志士や明治維新についての知識が中心で、よく考えるとお城のことはほとんどなにも知らない状態でした。木戸孝允の家とか、高杉晋作の生家とか、そういうものは訪れていたのに、城下町そのものについては無知であることを思い知ることになりました。
この堀内町内会オリジナルのイベントは、この地区内に現存する遺産や遺構を、地元の方々がガイドするという趣向です。説明をしてくれるだけでなく、クイズをしたり、各訪問ポイントで記念スタンプを押したり、なかなか楽しい仕掛けをしてありました。途中の休憩ポイントでは、みかんジュースもごちそうになりました。
スタンプポイントは下記の8カ所です。
- 中の総門跡と萩博物館隅矢倉
- 旧児玉家長屋門
- 平安古の総門跡と平安橋
- 堀内鍵曲
- 口羽家住宅
- 旧二宮家長屋門
- 旧福原家萩屋敷門
- 萩西中学校正門
中の総門というのは、お城の三の丸を囲む堀に設けられた門で、城下で最大の門の跡です。現在は萩博物館の敷地近くにあたりますが、この博物館の隅に矢倉があります。2階建で、城下を行き交う人々を監視するために作られたのだそうです。この矢倉の前は、現在は住宅が建っていますが、当時は馬場で広く、馬の調練が行われていました。
児玉家は毛利家の中級家臣で、禄高約150石〜300石前後とされる武士の家柄でした。藩政期には江戸詰・萩詰の役務を務め、地域行政にも関与していたそうです。長屋門というのは、通用門と居住スペース(長屋)を兼ね備えた構造で、門の両側に部屋が設けられ、番人や使用人の住まい、あるいは武器の収納などに使われていました。

平安古と書いて「ひやこ」と読みます。平安古地区は、江戸時代に長州藩(萩藩)の中・下級武士たちが住んでいた武家地の一つで、この地区の入り口に設けられていたのが「平安古総門」で、外部からの出入りを監視し、内部の治安を保つために設けられました。平安橋は、その総門の手前にある橋で、町人や農民が通行すると同時に門の監視の役割も持っていました。

鍵曲と書いて「かいまがり」と読みます。鍵曲とは通路の形式のことで、道を直角に曲げ、左右を高い土塀で囲んだ構造の街路をいいます。ここを通ると見通しが悪く、自分の位置をすぐに見失ってしまいます。もちろんこれは、敵の侵入を防ぎ、見通しを悪くすることで防御を強化するための工夫です。

口羽家は上級武士で、禄高は1,018石余といわれています。関ヶ原の戦いの後、毛利氏と共に萩に移り、藩の寄組士(よりぐみし)として堀内地区に屋敷を構えました。屋敷は切妻造り、桟瓦葺きで、広い座敷からは庭を隔てて橋本川が望めます。ここでみかんジュースをいただきました。爽やかな風の中、絶景を楽しめます。
二宮家の藩政初期の当主は毛利元就の子であったそうです。関ヶ原の戦いを経て、毛利氏と共に萩へ移り、禄高891石余を封ぜられました。旧二宮家長屋門の特徴は、その規模です。本瓦葺き入母屋造りで、桁行約14.5メートル、梁間約3.6メートルにもなります。外壁の仕上げが「なまこ壁」であることも特徴といえます。「なまこ壁」とは、平らな瓦を壁に貼り付け、その継ぎ目に盛り上がった白い漆喰(しっくい)を乗せた壁のことをいいます。

福原家は萩藩の永代家老として、宇部に1万1,314石余りの領地を有していました。当主がいつもは萩に居住しており、その屋敷が堀内にあります。門の規模は桁行8m、梁間2m、棟高4.5mで、家老の格式に相応しい重厚な造りになっています。門の向こうはいまはもう屋敷もなく、緑の木々が茂っているだけですが、それがまた時の流れを感じさせます。
萩西中学校正門は御成道に面しています。御成道とは、藩主が通行する道のことです。参勤交代のときは、この道を行列が通過したようです。この通りは、当時の面影を残すために、電信柱や電線がなく、地下に埋められています。ここでは、中学校の学生が案内を務めてくれました。
そう言えば、何度か萩の子供たちと擦れ違いましたが、みんな例外なく、挨拶をしてくれます。いまどき珍しいと、ある意味感銘を受けました。親御さんたちの教育が良いのか、それとも歴史的に礼節を重んじる文化があるのでしょうか。
このように大変充実した堀内散策で、あらためて萩に来たことの幸せを噛みしめたのですが、この散策のあと、ある喫茶店に入ったことで、ちょっと風向きが変わりました。
この喫茶店は夫婦でやっておられ、20年ほど前に東京から萩に移ってこられて、喫茶店を始めたのだそうです。旦那さんが店番をしていて、奥様が料理を作ってくださいました。料理も、奥様手作りのケーキも大変美味しく、また来ようと思いました。
そのおふたりと雑談する中で、この人生の先輩から貴重なアドバイスをいただきました。
萩に来るなら2拠点生活が良いわよ、決していまの家を売って完全に移ってくるようなことはしないほうがいいわ、と奥様がアドバイスしてくれました。萩はいいところだけど、最初だけよ! ニコニコしながらずばりと仰います。
この奥様、見た目はとても上品で、それこそ上級武士の奥方のような佇まいをしておられるのですが、仰ることは明晰で鋭いです。そろそろ歳を取って引退しようと思ってるんだけど、帰る場所がないのよ、ホホホ、と。
先輩、承知しました! わたしは、福岡と萩の2拠点生活を続けます。福岡で仕事を全力で頑張って、萩で癒やしをいただき、お金を萩で落とす。そういう生活を送らせていただきます!
そう、福岡のお家も大事にしないとね。福岡のお家も、萩のお家も、わたしにとっては宝物です。大事にそれぞれでそれぞれの役割を果たしながら、暮らしていきたいと思います。
福岡のお家の庭木のことも気になってきました。自動散水装置を仕掛けてきたけど、ちゃんと動作しているのだろうか、そういえば、明日は福岡に帰って、明明後日から仕事が始まるのだと、我に返りました。ゴールデンウィークも終盤、ちょっと気分が引き締まりました。
この喫茶店、気に入りました。引退されると仰っていましたが、またご馳走になりに行きたいと思います。もちろん、いただいたアドバイスは活かしつつ、萩にいるときは、世界遺産の中で暮らしていることを感謝しつつ、萩をしっかりと楽しんで暮らします。
だからというわけでもありませんが、そのあと自宅に帰るあいだに、古い萩焼のお店が開いていたので覗いてみました。もともと萩で使うコーヒーカップが欲しいなぁと妻と話をしていたのです。
運の良いことに、気に入ったものが見つかりました。わたしは落ち着いた茶系の渋い系、妻はブルーが鮮やかな爽やか系です。夫婦でワンセット、買い求めました。萩にいるときに、この萩焼を大事に使いたいと思います。
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